福島生まれの持込馬——運命のバブル期検疫遅延

ビワハヤヒデ 基本情報
生年月日1990年3月10日
性別
毛色芦毛
産地福島県(持込馬)
生産早田牧場
シャルード
パシフィカス
母の父ノーザンダンサー
馬主(有)ビワ
調教師浜田光正(栗東)
通算成績16戦10勝
主な勝ち鞍菊花賞(GⅠ)
天皇賞(春)(GⅠ)
宝塚記念(GⅠ)
京都記念(GⅡ)
神戸新聞杯(GⅡ)
死亡2020年7月21日(30歳)

ビワハヤヒデの誕生には、バブル景気という時代の影が差している。1990年、馬主・早田光一郎は英国ニューマーケットのセリ市で3万1千ギニー(約560万円)の牝馬・パシフィカスを落札した。彼女はすでにシャルードの仔を宿していた。

日本への輸送後は北海道の早田牧場新冠支場への移送が予定されていた。しかしバブル景気の好況で欧米からの繁殖馬輸入が殺到し、検疫許可が大きくずれ込んだ。成田空港到着時にはすでに出産予定日が目前に迫っており、急遽福島県の早田牧場本場で3月10日に出産。こうしてビワハヤヒデは戦後の競走馬としては稀な「福島県産馬」となった。

生後1カ月、日西牧場社長・高山裕基に見初められ、馬主の中島勇に購買された。後の管理調教師・浜田光正は「頭が大きくて脚も太かった。規格から外れた感じだよね。ただ血統が良かった。肌にノーザンダンサーというのはなかなかいない」と振り返っている。

1.7秒差の衝撃デビュー——「まだ遊びながら走ってます」

1992年9月13日、阪神の新馬戦(芝1600メートル)でデビュー。単勝2番人気に推されたビワハヤヒデは、後続に実に1秒7差をつける大差圧勝を飾った。続くもみじステークスもレコードで制し、デイリー杯3歳ステークスも芝1400メートルのレコードを1秒2も更新する快勝。騎手の岸滋彦は「まだ遊びながら走ってますよ」とコメントした。

年末の朝日杯3歳ステークスでは単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推されたが、エルウェーウィンにハナ差で惜敗。「ハナ差勝ちとは……。ビワハヤヒデは相当に強い馬です」と語ったのは、勝ったエルウェーウィンの鞍上・南井克巳騎手だった。

BNWの時代——クラシック三強の激闘

1993年のクラシック戦線は、ビワハヤヒデ(B)、ナリタタイシン(N)、ウイニングチケット(W)の「BNW三強」を軸に展開した。

BNW三強 クラシック対決
レース1着ビワハヤヒデ
皐月賞ナリタタイシン2着(クビ差)
日本ダービーウイニングチケット2着(半馬身)
菊花賞ビワハヤヒデ1着(7馬身差)

皐月賞はクビ差の2着、ダービーも半馬身差の2着と、BNW三強の中で唯一タイトルを手にすることなく春を終えた。しかし陣営はある決断をする——それまで装着していたメンコを外すことだった。

「メンコを外したら、レースでの集中力が増した。あの決断が転機になった」 — 浜田光正調教師

秋の神戸新聞杯を7馬身差で圧勝し、迎えた菊花賞。ビワハヤヒデはウイニングチケット、ナリタタイシンを7馬身もの大差で突き放し、圧倒的な強さで三冠最終戦を制覇した。春の惜敗が嘘のような、別馬の走りだった。さらに年末の有馬記念にも1番人気で出走したが、364日ぶりの実戦復帰となったトウカイテイオーの奇跡の復活劇に半馬身届かず2着。それでも連対記録は途切れなかった。

古馬最強へ——天皇賞(春)・宝塚記念の連覇

1994年、古馬となったビワハヤヒデはさらに強さを増した。2月の京都記念を快勝し、4月の天皇賞(春)では3200メートルの長丁場を制覇。続く6月の宝塚記念でも勝利し、この時点でデビューから15戦連続連対(2着以内)という、シンザン(19連対)に次ぐ史上2位の記録を更新し続けていた。

主要戦績(抜粋)
レース着順備考
1992年デイリー杯3歳SGⅡ1着芝1400レコード更新
1993年皐月賞GⅠ2着ナリタタイシンにクビ差
1993年日本ダービーGⅠ2着ウイニングチケットに半馬身
1993年菊花賞GⅠ1着7馬身差の圧勝・レコード
1993年有馬記念GⅠ2着1番人気・トウカイテイオーに半馬身
1994年天皇賞(春)GⅠ1着GⅠ2勝目
1994年宝塚記念GⅠ1着GⅠ3勝目
1994年オールカマーGⅢ1着秋の始動戦
1994年天皇賞(秋)GⅠ5着レース中に屈腱炎発症・引退

幻の兄弟対決——秋の悲劇

1994年秋、競馬界はある夢の対決を心待ちにしていた。古馬最強のビワハヤヒデと、無敗の三冠馬となった半弟ナリタブライアン。同じ母・パシフィカスから生まれた兄弟が有馬記念で激突する——そのシナリオだ。

しかし天皇賞(秋)のレース中、ビワハヤヒデは屈腱炎を発症。そのままターフに崩れ落ちた。16戦目にして初めて連対を外したのがこの形でのリタイアとなり、夢の兄弟対決は永遠に実現しなかった。

引退後は種牡馬となったが、後継種牡馬となるほどの産駒には恵まれなかった。2020年7月21日、日西牧場で30歳の天寿を全うした。

血統が語る「芦毛の底力」

ビワハヤヒデの父・シャルードは1983年生まれの芦毛馬で、父にカロ(Caro)を持つ。カロはアイルランド生まれのフランス調教馬で、仏2000ギニーなど欧州G1を5勝した名馬だ。その父はフォルティノ(Fortino)、さらにグレイソヴリン(Grey Sovereign)→ナスルーラと続く欧州系の系譜を持ち、芦毛の遺伝子もこのラインから受け継がれている。

一方、母・パシフィカスの父はノーザンダンサー。ケンタッキーダービーとプリークネスを制した20世紀最高の種牡馬の直仔を母系に持つことを、浜田調教師が「肌にノーザンダンサーというのはなかなかいない」と評したほど希少で価値の高い血統だった。母母パシフィックプリンセスはデラウェアオークス(G1)優勝の実力馬で、その父ダマスカスはプリークネスSなどを制した米国の名馬だ。

欧州の芦毛系統と、米国・カナダの名血が母系で重なったこの配合が、ビワハヤヒデの長距離での底力と、あの豪快な末脚を生み出した。菊花賞・天皇賞(春)という3000メートル超の長距離GIで圧倒的な力を発揮したのは、この血統的必然の表れだった。

母・パシフィカスの産駒一覧(主なもの)

  • ビワハヤヒデ(1990、父シャルード)— 菊花賞・天皇賞(春)・宝塚記念制覇。1993年JRA年度代表馬
  • ナリタブライアン(1991、父ブライアンズタイム)— 史上5頭目の三冠馬。1994年JRA年度代表馬

【筆者の思い出】あの大きな顔と、鯉のぼりを見る余裕

ビワハヤヒデという馬を思い出すとき、まず頭に浮かぶのが「あの顔」だ。芦毛の大きな馬体に不釣り合いなほど立派な顔——いや、馬体も十分大きいのだが、とにかく顔が印象的だった。パドックや口取り写真で見るたびに「この馬は顔で勝負しているのか」とひとりごちたものだ。調教師の浜田光正自身が「頭が大きくて規格から外れた感じ」と言っていたのだから、ファンがそう思うのも無理はない。

しかしいったんレースが始まると、あの大きな顔の持ち主は別の生き物に変わった。1994年春がその最たるものだ。天皇賞(春)と宝塚記念のG1連勝。しかもただ勝つだけでなく、宝塚記念は2分11秒2のレコードで5馬身差という、圧倒的すぎる内容だった。

そして今でも耳に残っているのが、天皇賞(春)での杉本清アナウンサーの実況だ。「鯉のぼりを見る余裕!」——直線で後続をぐんぐん引き離しながら、それでもまだ余力を残しているビワハヤヒデの姿を、杉本アナがそう表現した。京都の青空に鯉のぼりが泳ぐ5月の風景と、悠然と先頭を走る芦毛の大きな背中が、言葉とともに鮮やかに目に焼きついている。

あの実況フレーズはビワハヤヒデという馬の強さと余裕を、これ以上ない形で言い表していた。そして「鯉のぼりを見る余裕」を持ちながら走った馬が、秋にはあんな形で引退することになるとは——競馬の無常さをこれほど痛感させてくれた馬も、そうはいなかった。

ビワハヤヒデ この馬を一言で言うなら

  • デビューから15戦連続連対——シンザンに次ぐ史上2位の不滅の記録
  • BNW三強の中でクラシック春2着2回を経て、菊花賞を7馬身差で制した逆転劇
  • 父カロ系の欧州芦毛血統×母父ノーザンダンサーという名配合
  • 半弟ナリタブライアンとの「幻の兄弟対決」が永遠に語り継がれる
  • 「無敵の兄貴」——2020年に30歳で天寿を全うした芦毛の至宝