小さな牧場の大きな賭け——稲原牧場とワキアの物語

サイレンススズカ 基本情報
生年月日1994年5月1日
性別
毛色栗毛
産地北海道平取町
生産稲原牧場
サンデーサイレンス
ワキア
母の父Miswaki
馬主永井啓弐
調教師橋田満(栗東)
主戦騎手上村洋行→河内洋→武豊
(宝塚記念のみ南井克巳)
通算成績16戦9勝
主な勝ち鞍宝塚記念(GⅠ)
金鯱賞(GⅡ)
毎日王冠(GⅡ)
中山記念(GⅡ)
小倉大賞典(GⅢ)
表彰1998年JRA賞特別賞

北海道平取町の稲原牧場——大きくはないこの牧場が、1992年に冒険的な大枚をはたいてアメリカから輸入した繁殖牝馬がワキアだった。父Miswaki(Mr. Prospector直仔)、米国で7勝を挙げたスプリンターだ。当時まだその実力が十分に知られていなかったサンデーサイレンスに種付けし、1994年5月1日に生まれたのが、鹿毛の父と母を持ちながら栗毛で生まれたひと回り小柄な牡馬だった。

牧場主は「両親にも似ていない」と当初は戸惑ったという。しかしその立ち姿のバランスと気品は、見る者を引きつける何かを持っていた。この馬がやがて競馬界を席巻することなど、誰一人予想できなかった。

「逃げ馬」への変貌——バレンタインSから始まった6連勝

1996年12月にデビューし、3歳(当時の表記)時は上村洋行・河内洋と主戦が変わりながら、神戸新聞杯2着など着実に成績を積み上げた。前年末の香港国際カップで武豊と初コンビを組み大逃げに活路を見出したが、5着に敗れた。

転機は1998年2月14日のバレンタインS(OP・東京芝1800m)だった。国内で初めて武豊とコンビを組んだこのレースで1000m通過57秒8というハイペースで逃げ、2着に4馬身差をつけて快勝。ここから怒涛の快進撃が始まった。

続く中山記念・小倉大賞典も逃げ切り連勝。金鯱賞では1秒8差という驚異的な大差勝ちで「大逃げ」戦法が完全確立された。宝塚記念では南井克巳に乗り替わりながらもGI初制覇——そして毎日王冠まで怒涛の6連勝を果たした。

毎日王冠——「伝説のGII」グラスワンダー・エルコンドルパサーを圧倒

12万人が見守った「伝説のGII」

1998年秋、天皇賞へのステップとして選んだ毎日王冠に、グラスワンダーとエルコンドルパサーという2頭の無敗の外国産馬が参戦してきた。GIIにも関わらず東京競馬場に12万人超が詰めかけた「伝説のGII」として今も語り継がれるレースだ。

武豊を背に2番枠からスタートしたサイレンススズカは、1000メートル通過57秒7というハイペースで逃げた。直線でも失速せず2馬身半差でゴール——2着エルコンドルパサー、グラスワンダーは5着だった。上がり最速がエルコンドルパサーの35秒0に対し、逃げたサイレンススズカが35秒1という目を疑うタイムを叩き出したこのレースで、「この馬は本物だ」という確信が競馬場を覆った。

1998年 天皇賞(秋)——その日、第3コーナーで

毎日王冠の圧勝で、天皇賞秋は単勝1.2倍という圧倒的1番人気。誰もが「また逃げ切る」と信じた。1枠1番。1000メートル通過57秒4。2番手はまだ遥か後方——第3コーナーまでは完璧だった。

しかし、第3コーナー手前、ゴールまで約600メートルの地点で、あの栗毛の馬体がガクンと沈んだ。左前脚手根骨粉砕骨折——予後不良と診断され、その日のうちに安楽死の処置がとられた。

「競馬の歴史を変えるかもしれなかった馬だったと思っています。あれだけ速くて、強くて、美しかった。種牡馬になっていたら、日本の競馬がどうなっていたか——」 — 武豊騎手、後年のインタビューより
主要戦績(全16戦)
レース着順備考
1997年神戸新聞杯GⅡ2着河内洋
1998年バレンタインSOP1着武豊・国内初コンビ・4馬身差・覚醒の始まり
1998年中山記念GⅡ1着逃げ切り重賞初制覇
1998年小倉大賞典GⅢ1着トップハンデ57.5kgをレコード勝ち
1998年金鯱賞GⅡ1着1秒8差の大差勝ち・大逃げ戦法確立
1998年宝塚記念GⅠ1着南井克巳・唯一のGI制覇
1998年毎日王冠GⅡ1着2馬身半差・エルコンドルパサー2着・グラスワンダー5着
1998年天皇賞(秋)GⅠ競走中止左前脚手根骨粉砕骨折・予後不良

「同じ配合を再現できない」——ワキアの死という二重の悲劇

サイレンススズカの悲劇にはもう一つの側面がある。母ワキアはサイレンススズカの事故死より前、1996年にすでに死亡していた。つまりサイレンススズカと同じ配合(サンデーサイレンス×ワキア)を再現することは永遠に不可能だった。「種牡馬になっていたら」という惜しみ声とともに、「あの配合をもう一度」という夢も同時に絶たれた。

事実上の代替馬として期待されたのが、同じワキアを母に持つ半弟のラスカルスズカだったが、重賞勝ち馬を出せないまま種牡馬登録を抹消された。

血統が語る「サンデー×ミスタープロスペクター——スピードの極致」

サイレンススズカの血統の核心は、父サンデーサイレンス(ヘイロー系)×母父Miswaki(Mr. Prospector直仔)という組み合わせだ。Mr. Prospectorは世界中で圧倒的なスピードと完成度の高さを誇った北米最強の種牡馬系統のひとつ。そのスピード遺伝子がサンデーサイレンスの末脚と融合することで、「逃げながら後続を引き離し続ける」という常識を超えたスタミナ付きのスピードが生まれた。

父は青鹿毛、母は鹿毛——それなのに栗毛で生まれたこの馬の毛色は、血統の予測を超えた個性の象徴だった。競馬界の常識を塗り替えた走りも、その毛色と同じように、誰にも予測できない突然変異的な輝きを放っていた。

サイレンススズカと近親馬

  • ラスカルスズカ(半弟・父コマンダーインチーフ)— 天皇賞春2着・阪神大賞典2着
  • ワキアオブスズカ(全姉・父ダンスオブライフ)— 中央2勝
  • スズカドリーム(甥・父サンデーサイレンス)— 京成杯優勝・2005年に調教中事故死
  • Miswaki(母父)— Mr. Prospector直仔・米GI3勝・欧州でもGI勝利

【筆者の思い出】戦慄した毎日王冠——1800mならば過去も世界も含めて最強

サイレンススズカの思い出は、やはり圧倒的な強さだ。

毎日王冠はその強さが完成された瞬間だったと思う。グラスワンダーとエルコンドルパサー——どちらも同世代最強クラスの外国産馬が揃って挑戦してきたあのレースで、サイレンススズカは2馬身半差をつけて勝った。しかも逃げながら上がり35秒1という末脚を刻んで。追いかけたエルコンドルパサーの上がりが35秒0——つまり差せなかった。ただ「強い」という言葉しか出てこなかった。戦慄した、という表現が正直なところだ。

今でも思う。1800メートルならば、過去も世界も含めて、サイレンススズカが最強馬だと。あのペースで逃げながら末脚が衰えない——そんな馬は後にも先にも見たことがない。まさしくサラブレッドの究極形態だった。

だからこそ、天皇賞秋の第3コーナーはあまりにも残酷だった。あの瞬間、競馬場にいた誰もが「逃げ切る」と信じていた。それほどの確信があった。その確信が音を立てて崩れた——競馬史上、あれほど残酷な瞬間はなかったと思う。

サイレンススズカ この馬を一言で言うなら

  • 金鯱賞大差勝ち・毎日王冠でグラスワンダー&エルコンドルパサーを圧倒——「誰も届かない場所を走った」
  • 1998年天皇賞秋・第3コーナー手前での左前脚粉砕骨折——単勝1.2倍の確信が砕けた瞬間
  • 母ワキアはすでに1996年に死亡——同じ配合を二度と再現できないという二重の悲劇
  • 父サンデーサイレンス×母父Mr. Prospector——スピードの極致が生み出した「逃げながら末脚」という矛盾の走り
  • 父青鹿毛・母鹿毛から生まれた栗毛——血統の予測を超えた個性の象徴
  • 種牡馬になっていたら日本の競馬はどうなっていたか——永遠に答えの出ない問いを残した伝説