創設間もない新興のスプリントG1を勝利した全盛期の外国産馬。この時代は為替や景気の影響もあり外国産馬が沢山走っていた時代でした。その中でも印象的なシンコウキングを取り上げてみます。
シンコウキング
37.5%の禁断のインブリードが生んだ高松宮杯馬
英ダービー馬の半弟、サドラーズウェルズの全弟——世界的良血が生んだ「気性の怪物」
「能力は相当高いのに、気性が荒く体質も弱い」——調教師・藤沢和雄がそう評した馬がいた。 ノーザンダンサーの血を37.5%もインブリードした、現代のサラブレッドでは類を見ない配合。 名手・岡部幸雄以外には乗りこなせないとさえ言われたその気性は、 1997年の高松宮杯で電撃の末脚を発揮し、世界的良血の力を証明した。
美浦・藤沢和雄厩舎
世界的良血——サドラーズウェルズの全弟という肩書き
| 生年月日 | 1991年4月24日 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 産地 | アイルランド |
| 生産 | Ron Con Ltd and Swettenham Stud |
| 父 | フェアリーキング |
| 母 | ローズオブジェリコ |
| 母の父 | アレッジド |
| 馬主 | 安田 修 |
| 調教師 | 藤沢和雄(美浦) |
| 主戦騎手 | 岡部幸雄 |
| 通算成績 | 26戦8勝(海外1戦含む) |
| 主な勝ち鞍 | 高松宮杯(GⅠ) 富士ステークス クリスマスステークス |
| 死亡 | 2012年5月17日(21歳) |
シンコウキングの血統表を眺めると、その豪華さに目を見張る。父・フェアリーキングは、欧州競馬史上最高の種牡馬の一人と称されるサドラーズウェルズの全弟。母・ローズオブジェリコの半兄には、1989年の英ダービー馬ドクターデヴィアスがいる。世界的な良血馬同士の組み合わせから生まれたサラブレッドだった。
父フェアリーキングは現役時代、たった1戦で骨折を発症し引退した馬だ。しかし調教師ヴィンセント・オブライエンはその素質を見抜き、種牡馬としての機会を与えた。結果、フェアリーキングはフランスのリーディングサイアーにも輝く名種牡馬となった。一方、母ローズオブジェリコの父アレッジドは、1977年と1978年に凱旋門賞を連覇した、20世紀を代表する名馬の一頭である。
気性の荒さ、そしてデビューの遅れ
こうした血統的な期待を背負って生まれたシンコウキングだったが、その道のりは平坦ではなかった。デビュー前に暴れて肩を負傷したため、デビューが遅れてしまう。外国産馬という立場から当時は日本ダービーに出走できなかったが、肩の怪我のために、その日本ダービーが終わった後の1994年7月、ようやく福島競馬場でデビューを迎えることとなった。
デビュー戦は6着。その後は安定したレベルで勝ち負けを繰り返し、1995年12月のクリスマスステークス(オープン特別)を制した。1996年には長期休養を挟みながら、スワンステークスで復帰し4着、続く富士ステークス(当時オープン特別)を制している。
「岡部幸雄以外は乗れない」——気性の荒さの正体
シンコウキングの強さの裏には、誰もが認める難しさがあった。調教師の藤沢和雄は後年、この馬について率直に振り返っている。
その気性の荒さは尋常ではなく、名手・岡部幸雄以外には乗りこなせる騎手がいないと言われるほどだった。この信頼関係を物語る逸話がある。1997年のスワンステークス・マイルチャンピオンシップでは、岡部はもう一頭の手馬であるタイキシャトルを横山典弘に託し、自身はシンコウキングに騎乗する選択をしたのだ。当時、世界的スプリンターとして活躍していたタイキシャトルではなく、シンコウキングを自ら担当する——それほど、この馬には岡部の手腕が不可欠だった。
高松宮杯——桶狭間の電撃6ハロン
1997年3月、第27回高松宮杯(GI昇格2回目)。シンコウキングは黒の帽子に黒の勝負服をまとった岡部幸雄を背に、中京芝1200メートルの短距離G1に挑んだ。
道中は内ラチ沿いの6番手から7番手という位置取り。直線では上手く馬場中央に持ち出されると、メンバー中最速となる上がり3ハロン34秒4の豪脚を発揮した。決勝点ではエイシンバーリンを1馬身差抑え込み、見事優勝を飾った。半兄ドクターデヴィアスが制した英ダービーのおよそ半分の距離での、極東の地でのGI制覇だった。
| 年 | レース | 格 | 着順 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1995年 | クリスマスS | OP | 1着 | |
| 1996年 | 富士S | OP | 1着 | 連闘での出走 |
| 1996年 | スプリンターズS | GⅠ | 3着 | |
| 1997年 | 高松宮杯 | GⅠ | 1着 | 上がり34.4・1馬身差 |
| 1997年 | シルクロードS | GⅢ | 3着 | |
| 1997年 | 香港国際ボウル | GⅡ | 3着 | 海外挑戦 |
高松宮杯制覇後、思わぬ騒動も起きた。週刊文春に、シンコウキングが規定違反の蹄鉄「スパイク鉄」を使用しているという写真付き記事が掲載されたのだ。万一それが真実であれば競馬の公正を揺るがす重大なスキャンダルとなるため、第一報の段階では競馬界で大きな話題となった(後に問題なしと判断されている)。
血統が語る「禁断のインブリード」
シンコウキングの血統を語る上で欠かせないのが、その極端なインブリード構成だ。ノーザンダンサーの血を2×3で、実に37.5%という濃さで持っていた。これは現代のサラブレッドでは極めて稀な配合密度である。日本でこれに匹敵する例は、英ダービー馬ストレイトディールの37.5%を持つスルガスンプジョウくらいしか見当たらない。
具体的には、父フェアリーキング自身の父がノーザンダンサー(2代目)であることに加え、母ローズオブジェリコの母母ローズレッドの父もノーザンダンサー(4代目)だった。つまりシンコウキングは、父方に1つ、母方に1つという形でノーザンダンサーの血を二重に受け継いでいたのである。世代の近い2代目と4代目という構成上、合計のインブリード濃度は37.5%にも達した。一般的にこれほど濃いインブリードは、能力の爆発力を生む一方で、気性の不安定さや体質の弱さという「諸刃の剣」のリスクを伴う。藤沢調教師が語った「気性が荒く体質も弱い」という評価は、まさにこの血統構成が体現したものだったと言える。
しかし高松宮杯制覇という結果は、そのリスクを乗り越えるだけの能力の高さを証明した。世界的良血馬同士の組み合わせと、禁断とも言えるインブリードの密度——その両方が、シンコウキングという馬の物語を形作っていたのである。
引退後——種牡馬としての遺産
引退後は種牡馬となり、地方競馬を中心に活躍馬を輩出した。繁殖牝馬としては、シンコウキングの全妹ローズオブスズカがスズカフェニックスを輩出するなど、血統的な成功例も見られている。2012年5月17日、21歳でその生涯を終えた。
シンコウキング この馬を一言で言うなら
- サドラーズウェルズの全弟×凱旋門賞2連覇馬の血を引く世界的良血馬
- ノーザンダンサー37.5%という、現代では類を見ない極端なインブリード
- 「岡部幸雄以外は乗れない」と言われた気性の荒さ
- 高松宮杯、上がり3ハロン34秒4の電撃の末脚でGI制覇
- 能力の高さとリスクが同居する、インブリードの諸刃の剣を体現した一頭


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