私がリアルタイムに見てきた名馬・迷馬達のことをつらつらと書いていきたいと思います。記念すべき第1回はナリタブライアンです。ご存じ歴代4頭目の三冠馬にして、怪物の称号を賜った偉大な優駿です。トレードマークのシャドーロールをして、黒い弾丸みたいな走りをしていました。

血統的には、兄にビワハヤヒデを持ち父親は早田牧場が鳴り物入りで輸入してきた新種牡馬のブライアンズタイム。特に兄の活躍が凄まじく、期待するなという方が無理なくらいの良血。
※現実的にこの兄弟以上に競争成績において活躍した兄弟がいるでしょうか?アグネスフライトにタキオン兄弟、ダイワメジャーとスカーレットの兄妹。どちらも凄い兄弟ですが個人的にはハヤヒデ・ブライアン兄弟が一番かと思っております。なのでその母親であるパシフィカスの偉大さは歴代トップクラスに思います。
ただ、期待に反して勝ち上がりはそれほど早くなかったようで2歳時は結構負けています。気性面というか臆病な面が大きかったようで新馬戦で負けたり重賞で勝てなかったり。対策としてシャドーロールを付けたら覚醒したということのようです。ちなみに時間が経つにつれ臆病さは克服されシャドーロール自体は必要なくなっていたようですが、すでにトレードマークになっていたのもありずっとつけ続けたようですww
私自身、ブライアンの2歳時やクラシックはリアルタイムでは見ておりません。クラシック後の3歳最後の有馬記念で初めてお目にかかります。それまで競馬に興味も無かったですが、実家でたまたま付いていたテレビの中継で競馬をやっておりそれが94年の有馬記念でした。何気なく見ていた私に衝撃がはしりました。そもそもレース自体がツインターボの大逃げで盛り上がっていたところ、直線に入ったら後ろから黒いゴム毬みたな走りをした馬が突っ込んでくる!「なんだありゃ!?」正直な私の感想でした。えらい強い馬だなぁと、中学生ながらに思ったものです。瞬く間に競馬自体に興味を覚え、また当時ダビスタが流行っていたのもあり私の競馬熱は燃え上がっていきました。まさしく私を競馬の道へ引っ張り込んだ張本人(馬)です。ありがとう(≧▽≦)
それだけの衝撃だっただけに、その後の低迷具合は痛々しいものでした。早熟だったのか、ケガの影響でフォームなり感覚なり気性なりが狂ってしまったのか今となっては分かりませんが。翌秋のG1を3連敗。しかも全くいいところも無く。騎手が南井さんじゃなかったのもあるのか。でも、代わりに乗ったのも的場騎手に武豊ですからね。当時の雑誌の記事で、気持ちの面で戻っていないという記事を見た記憶がありますがどうなんですかね。
明けて3月の阪神大賞典。マヤノトップガンとの壮絶なマッチレース。感動しました。多頭数のレースが基本のJRAで直線入口からマッチレースて。。。後にも先にも見たのはこの阪神大賞典だけです。実はトップガンを応援していたのは内緒ですがww
久々に勝利し且つ、それがまた劇的だったものだから次戦の天皇賞春の盛り上がりも凄かったですね。当然1番人気で主戦南井克己が帰ってき、実際のレースでも一瞬は勝ったかと思わせましたがサクラローレルの強襲に会い2着。。。😞「なんやねん!サクラローレルって何者やねん!」96年天皇賞春の時点では完全に伏兵扱いのローレルでした。(開花後のサクラローレルは後にマヤノトップガンの宿敵になり私は散々辛酸を舐めさせられます)
そして話題の高松宮杯出走。賛否両論でしたね。というか否の方がほとんどだったような気がします。だって、3200mのレースの次走が1200mって。しかも三冠馬ですよ。そんな無茶な使い方あります!?大多数の競馬ファンがそう思っていて結果4着。しかも、レース後に故障が判明しそのまま引退。。(´;ω;`)言わんこっちゃない!!これまた多くの競馬ファンがブーイング。想定できる最悪に近い形での幕引きに様々な論争が起こりましたね。大久保調教師、未だに悪者のような気がします。
引退後、当然種牡馬になった訳ですがわずか2世代をのこして腸捻転により安楽死処分がとられ逝去。本当に悲劇的な最後でした。三冠馬の最後にしてはあっけなさすぎるし寂しかったですね。歴代の三冠馬でもこれだけ最後に恵まれなかったのは珍しい。3歳までと4歳以降の待遇がまるで違いすぎ、復活することなく引退そして早逝。。。なんというか、強さと儚さの両方が強烈に際立つ個性。強烈な印象の勝ち方と、崩れた後の脆さ。そして悲劇的な最後。これほど凹凸のエピソード、人生(馬生)を歩んだ三冠馬は他にいません。
私を競馬の道に導いてくれた運命の優駿でしたので最初の書き物にさせて頂きました。このような形で私自身がリアルタイムで見ていた競走馬たちを不定期に今後も紹介させて頂ければと思います。なるべくその当時の空気感が伝わればいいなと願っております。
今後ともお付き合い頂ければ幸いです。
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