日本競馬の王道を、これほど正面から歩んだ馬はそう多くない。
日本ダービーで世代の頂点に立ち、古馬となってからは天皇賞・春、天皇賞・秋、そしてジャパンカップを制覇。
距離も、舞台も、相手も問わず、大一番で結果を残し続けたその姿は、まさに時代を代表する名馬そのものだった。
しかし、その歩みは決して平坦ではない。
期待を背負い、敗北を味わい、それでも再び立ち上がる。
セイウンスカイ、グラスワンダー、エルコンドルパサーら強烈な個性を持つライバルたちと競い合った黄金世代の中で、スペシャルウィークは何度も己の強さを証明してきた。
日本ダービーの歓喜。
春秋の天皇賞制覇。
そして世界の強豪を迎え撃ったジャパンカップ。
その一つひとつが、日本競馬の王道路線そのものだった。
スペシャルウィーク
日本競馬の結晶——母なき命が「日本総大将」になるまで
武豊に初ダービーを、日本に世界への誇りを——グラスワンダー・エルコンドルパサーと並んだ「黄金世代の主人公」
生まれた5日後、母が死んだ。 乳母馬のばん馬はやぐらで固定しなければ授乳できず、 牧場スタッフが人の手で育てた。 1人でいることの多かったこの黒鹿毛の牡馬は、 やがてデビューし、 武豊に12年越しの初ダービーを捧げ、 凱旋門賞馬モンジューを「日本総大将」として退けた。 17戦10勝——京都大賞典7着、 そして宝塚記念と有馬記念でグラスワンダーに2度敗れた。 しかし「グランプリを取れなかった名馬」という評価は、 この馬が積み重ねた輝かしい王道実績の前に霞む。 スペシャルウィークは、1990年代の日本競馬が 生み出した「結晶」だった。
栗東・白井寿昭厩舎
誕生5日後に母が死んだ——「人の手で育てられた命」
| 生年月日 | 1995年5月2日 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 黒鹿毛 |
| 産地 | 北海道門別町 |
| 生産 | 日高大洋牧場 |
| 父 | サンデーサイレンス |
| 母 | キャンペンガール |
| 母の父 | マルゼンスキー |
| 馬主 | 臼田浩義 |
| 調教師 | 白井寿昭(栗東) |
| 主戦騎手 | 武豊(全17戦) |
| 通算成績 | 17戦10勝 |
| 主な勝ち鞍 | 日本ダービー(GⅠ) 天皇賞・春(GⅠ) 天皇賞・秋(GⅠ) ジャパンカップ(GⅠ) 阪神大賞典(GⅡ) AJCC(GⅡ) 弥生賞(GⅡ) 京都新聞杯(GⅡ) きさらぎ賞(GⅢ) |
| 表彰 | 1999年JRA賞最優秀4歳以上牡馬 当時日本最高賞金獲得馬 |
| 死亡 | 2018年4月27日(22歳) |
1995年5月2日、北海道門別町の日高大洋牧場——スペシャルウィークが生まれたとき、その誕生自体が既に奇跡だった。前年12月から疝痛で苦しんでいた母キャンペンガールは手の施しようがないほど悪化しており、5月2日には牧場スタッフ総出で仔馬を取り出すという難産の末、この黒鹿毛の牡馬が産まれた。
しかし生まれた5日後、キャンペンガールは死亡した。乳母馬としてあてがわれたばん馬はやや気性が荒く、そのままでは授乳できないため、木製のやぐらで馬体を固定して乳を与えていたという。乳母馬の気性も安定しなかったため、スペシャルウィークは牧場スタッフの人の手によって育てられた。普段は他の馬から離れ1頭でいることが多かったが、人によく懐いた——それは、人に育てられた馬ならではの習性だったのかもしれない。
母キャンペンガールはデビュー前の厩舎での事故で未出走に終わったが、父マルゼンスキー、母レデイーシラオキ(シラオキ系)という名牝系の血を持つ良血牝馬だった。白井寿昭調教師はキャンペンガールの血統に注目しており、2歳年上の半姉を自厩舎に迎え入れていたほどだ。
武豊との出会い——「勝てない呪い」を解いた名馬
1997年11月、阪神芝1600mの新馬戦で武豊を背にデビュー——1番人気に応えて快勝。その後、きさらぎ賞・弥生賞と連勝し、この年のクラシックの最有力候補として迎えた皐月賞はセイウンスカイの3着に敗れた。
「武豊はダービーを勝てない」——12年越しの悲願
当時、競馬界に「武豊はダービーを勝てない」という言説があった。デビュー以来、国内外の主要レースをほぼ制覇してきた天才騎手が、なぜかダービーだけは縁がなかった。スペシャルウィークに騎乗した1998年のダービーは、武豊にとってデビュー12年目の挑戦だった。
ダービー当日、武豊は直線で鞭を落とした。「普段はそんなミスはしないし、この時も慌てたつもりはなかった」と本人は語っている。それでもスペシャルウィークは2着に5馬身差をつけて圧勝——武豊はレース後、発熱して数日間寝込んだという。知らず知らずのうちに積み上がっていたプレッシャーの大きさを物語るエピソードだ。
「ダービーを勝てない呪い」を解いたのは、母なき命として人の手で育てられたこの黒鹿毛の馬だった。
1998年 菊花賞——武豊が「自分の失敗騎乗」と認めた2着
ダービー圧勝の後、秋初戦の京都新聞杯も制してGI二冠の最有力候補として臨んだ菊花賞——しかし結果は2着だった。
世界レコードの逃げを捕まえられなかった理由——「あれは自分の失敗」
菊花賞でセイウンスカイは後続を大きく引き離す大胆な逃げを敢行し、芝3000mの世界レコードをマークして押し切った。大外17番枠からスタートしたスペシャルウィークは末脚を伸ばしたが、最後まで届かなかった。
武豊は後にこの菊花賞での騎乗を「失敗だった」と認めている。大外枠から終始外を回らされたことで必要以上にロスが生じ、もっとインコースを上手く立ち回れればセイウンスカイに届いた可能性があったというのだ。スペシャルウィークはダービーで5馬身差をつけるほどの末脚を持つ馬だっただけに、コース取りのロスが響いた惜敗だったとも言える。
相手のセイウンスカイが世界レコードで逃げ切るという完璧な内容だったとはいえ、「自分の失敗」と言い切る武豊の誠実さもまた、このコンビのエピソードとして記憶されている。
1999年——「黄金世代」の総大将として駆け抜けた一年
1999年のスペシャルウィークは、天皇賞(春)・天皇賞(秋)・ジャパンカップと王道GIを3勝するという圧倒的な実績を残した。しかしその道のりは平坦ではなかった。
ジャパンカップ——「日本総大将」の称号が生まれた日
凱旋門賞馬モンジューを退けた「日本の意地」
1999年のジャパンカップは、日本競馬史上に残る国際レースだった。1番人気はフランス・アイルランドのダービーを制し、エルコンドルパサーを下して凱旋門賞を制覇したモンジュー——世界最強馬が来日した。スペシャルウィークは2番人気だったが、前走の天皇賞(秋)を制した「日本の代表」という立場で臨んだ。
直線で先頭に立ったスペシャルウィークは、外から迫るモンジューを最後まで寄せ付けなかった。2着はインディジェナス(英)、3着はハイライズ(英)で、モンジューは4着に終わった。グラスワンダーが回避したこともあり、「日本の希望を一頭で背負った」この勝利から、スペシャルウィークは「日本総大将」と呼ばれるようになった。
なお武豊にとってもジャパンカップは初制覇——ダービーに続き、またスペシャルウィークが「武豊の初めて」を更新した。
グラスワンダーとの宿命の対決——4cmに泣いた有馬記念
2500m走って、ゴール板は4cm先にあった
1999年の両グランプリ——宝塚記念と有馬記念の2度とも、スペシャルウィークはグラスワンダーの2着だった。特に有馬記念の直線では、武豊が「勝った」と確信してウイニングランの体勢に入るほどの僅差だったが、写真判定でグラスワンダーが4cm先にゴールしていた。
2500mを走り切った末の4cm差——競馬という競技の残酷さと奥深さを同時に体現するような結末だった。「グランプリ馬になれなかった名馬」という評価が付きまとうことになったが、天皇賞春秋連覇・ジャパンカップ制覇という王道実績は、この馬の価値を揺るぎないものにしている。
| 年 | レース | 格 | 着順 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1997年 | 新馬戦(阪神・芝1600) | 1着 | 武豊・1番人気・デビュー勝ち | |
| 1998年 | きさらぎ賞 | GⅢ | 1着 | 重賞初制覇 |
| 1998年 | 弥生賞 | GⅡ | 1着 | セイウンスカイに0.1秒差 |
| 1998年 | 皐月賞 | GⅠ | 3着 | セイウンスカイの逃げ切りに屈す・1番人気 |
| 1998年 | 日本ダービー | GⅠ | 1着 | 5馬身差圧勝・武豊の12年越し初ダービー |
| 1998年 | 京都新聞杯 | GⅡ | 1着 | 菊花賞前哨戦を制覇 |
| 1998年 | 菊花賞 | GⅠ | 2着 | セイウンスカイの世界レコード逃げに屈す・武豊が後に「自分の失敗騎乗」と語った一戦 |
| 1998年 | ジャパンカップ | GⅠ | 3着 | エルコンドルパサーに完敗 |
| 1999年 | AJCC | GⅡ | 1着 | 4歳初戦を快勝 |
| 1999年 | 阪神大賞典 | GⅡ | 1着 | メジロブライトを退ける |
| 1999年 | 天皇賞(春) | GⅠ | 1着 | メジロブライトに2馬身差・春の盾制覇 |
| 1999年 | 宝塚記念 | GⅠ | 2着 | グラスワンダーに惜敗 |
| 1999年 | 京都大賞典 | GⅡ | 7着 | 馬体絞れず惨敗・「終わった」評価 |
| 1999年 | 天皇賞(秋) | GⅠ | 1着 | 復活・天皇賞春秋連覇は史上2頭目 |
| 1999年 | ジャパンカップ | GⅠ | 1着 | 凱旋門賞馬モンジュー4着・「日本総大将」 |
| 1999年 | 有馬記念 | GⅠ | 2着 | グラスワンダーにわずか4cm差・ウイニングランを始めた武豊の誤算 |
血統が語る「日本競馬の結晶——サンデー×シラオキ系の完成形」
スペシャルウィークの血統は「日本競馬の結晶」と呼ぶにふさわしい。父サンデーサイレンス(Halo系)は1990年代の日本競馬を席巻した大種牡馬。母父マルゼンスキーは父Nijinsky・母シルというニジンスキー直仔の名馬で、クラシック不出走ながら7連勝という圧倒的な強さを誇った「スーパーカー」だ。そして母系には日本の名牝系の頂点のひとつ・シラオキの血が5代目まで流れている。
母母レデイーシラオキの父セントクレスピンは凱旋門賞・エクリプスSを制した英国の名馬で、その下にヒンドスタン(日本のリーディングサイアー)→シラオキ(日本の名牝)と連なる日本競馬の歴史そのものの系譜がある。連綿と続く日本の名牝系シラオキと歴代のリーディングサイアーとの組み合わせ——血統面での「日本競馬の結晶」とも言われるこの馬の牝系は、後にウオッカ(2007年ダービー馬・GI7勝)・マチカネフクキタル(菊花賞)なども輩出している。
スペシャルウィークと近親・産駒の活躍馬
- マルゼンスキー(母父)— 朝日杯3歳S等7連勝の「スーパーカー」・本馬記事でも登場
- マチカネフクキタル(シラオキ系の同族)— 1997年菊花賞・1998年天皇賞秋でスペシャルウィークと同レース
- ウオッカ(シラオキ系の末裔)— 2007年ダービー(64年ぶり牝馬制覇)・GI7勝
- ブエナビスタ(産駒・父スペシャルウィーク)— GI6勝・2009年JRA賞年度代表馬
- シーザリオ(産駒・父スペシャルウィーク)— オークス・アメリカンオークス・産駒にエピファネイア・リオンディーズ
- トーホウジャッカル(産駒・父スペシャルウィーク)— 2014年菊花賞
【筆者の思い出】キングヘイロー派だった私が、やがて「グラスワンダーを目の敵に」するようになった話
正直なところ、3歳時のスペシャルウィークは好きな馬ではなかった。この世代のクラシックで私が応援していたのはキングヘイローだった。ダンシングブレーヴ産駒、正統的良血馬——血統好きとしてはこの馬に惹かれていた。弥生賞でも皐月賞でも「キングヘイローが行ける」と思っていたが、結果は届かなかった。その「届かなかった理由」がスペシャルウィークだったから、正直なところ複雑な感情があった。
しかし古馬になり路線が分かれてから、話が変わった。キングヘイローはスプリント路線へ、スペシャルウィークは古馬王道路線へ——交わらなくなった瞬間から、私は素直にスペシャルウィークを応援するようになっていた。そしてグラスワンダーを目の敵にするようになった(笑)。宝塚記念でも有馬記念でも、あの馬が現れるたびに「また邪魔をしに来た」と思っていた。4cmなんて、本当に悔しかった。
勝ったGIがダービー・天皇賞(春)・天皇賞(秋)・ジャパンカップと、まさしく王道路線そのもの。秋古馬三冠も、あの4cmさえなければ達成できていた——惜しすぎる戦績だ。そしてエルコンドルパサー・グラスワンダーという歴史的なライバルたちと同世代だったからこそ、この馬の実績は余計に輝いて見える。最強世代と呼ばれるハイレベルな時代の主役として、正面から走り続けた馬だった。
私の競馬歴の中でもトップクラスに印象に残っている推し馬の1頭だ。キングヘイローを応援していたあの頃の自分に、「古馬になったらスペシャルウィークを推すようになるよ」と教えてあげたい気もする。
スペシャルウィーク この馬を一言で言うなら
- 母が死んで5日後に生まれた命——人の手で育てられた黒鹿毛が「日本総大将」になった
- 武豊に12年越しの初ダービー、ジャパンカップの初制覇を捧げた馬
- 天皇賞春秋連覇(史上2頭目)+ジャパンカップ制覇——王道3冠の輝き
- 京都大賞典7着「終わった」評価から天皇賞(秋)で復活——底力を示した秋の戦い
- 凱旋門賞馬モンジューを「日本総大将」として退けた1999年ジャパンカップ——日本競馬の誇り
- グラスワンダーとの有馬記念4cm差——「2500m走った末の4cm」という競馬の残酷さと奥深さ
- 父サンデーサイレンス×マルゼンスキー×シラオキ系——歴代リーディングサイアーと名牝系が織りなした「日本競馬の結晶」
- 産駒ブエナビスタ・シーザリオが牝系を繋ぎ、血脈は今も走り続けている


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