サンデーサイレンス初年度産駒として現れ、皐月賞の栄冠をつかんだ黒鹿毛の実力馬。
しかし、その歩みは決して華やかな勝利だけで彩られたものではなかった。
クラシックの頂点、世代を超えた激戦、そしてマイルの舞台で見せた意地。
時代の主役になり切れなかったからこそ、記憶に残る走りがある。
今回は、静かに、しかし確かに強かった皐月賞馬・ジェニュインの軌跡を振り返ります。
ジェニュイン
サンデーに最初のクラシックを贈った「本物」
フジキセキ離脱の混迷を突いて皐月賞を制覇——球節の不安と戦い続けた正真正銘の実力馬
その名は「正真正銘の、本物の」を意味する。名伯楽・松山康久が取って置きの名前を授けた一頭は、 まさにその名にふさわしい走りを見せた。 最有力候補フジキセキが故障で離脱した1995年の皐月賞。 本命不在の混迷を突いて頂点に立ったのは、サンデーサイレンス産駒として 初めてクラシックを制した「ジェニュイン」だった。
美浦・松山康久厩舎
「シビれた」——岡部幸雄を唸らせた素質
| 生年月日 | 1992年4月28日 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 青鹿毛 |
| 産地 | 北海道千歳市 |
| 生産 | 社台ファーム |
| 父 | サンデーサイレンス |
| 母 | クルーピアレディー |
| 母の父 | What Luck |
| 馬主 | (有)社台レースホース |
| 調教師 | 松山康久(美浦) |
| 通算成績 | 21戦5勝 |
| 主な勝ち鞍 | 皐月賞(GⅠ) マイルチャンピオンシップ(GⅠ) 若葉S |
| 死亡 | 2015年1月19日(23歳) |
ジェニュイン——「正真正銘の、本物の」を意味するこの馬名は、ミスターシービーやウイナーズサークルを育てた名伯楽・松山康久調教師が、相応しい馬に付けようと秘蔵していた取って置きの名前だったという。当歳時にこの馬に惚れ込んで命名したとも伝えられている。
調教師の松山によると、幼少時は骨格が大きく、ほかの馬とは明らかに異なる特徴をしていたという。1994年9月に松山厩舎に入厩すると、デビュー前に調教のために騎乗した名手・岡部幸雄が「シビれた」とコメントするなど、関係者の評価は極めて高かった。サンデーサイレンス初年度産駒の中でも、屈指の期待馬だったのである。
フジキセキ離脱、本命不在の皐月賞
1994年10月15日、東京でデビュー。初戦こそ2着に敗れたが、2戦目の未勝利戦を勝ち上がった。陣営は朝日杯3歳ステークスを目指したが、球節に異常が見られたため出走を回避。この球節の不安は慢性化し、生涯ジェニュインにつきまとうことになる。
1995年、セントポーリア賞と皐月賞トライアルの若葉ステークスを連勝して皐月賞へ。同期のサンデーサイレンス産駒では、朝日杯3歳ステークスを制したフジキセキの評価が傑出していたが、そのフジキセキが皐月賞を前に屈腱炎で離脱。さらにスプリングステークスを制したナリタキングオーも故障で出走できず、本命不在の混戦となった。
3番人気に推されたジェニュインは、レースで2番手から直線で抜け出す内容で優勝。重賞初制覇とともにGI初制覇を達成し、サンデーサイレンス産駒として初のクラシックタイトルをもたらした。続く日本ダービーでは、同じサンデーサイレンス産駒のタヤスツヨシの2着に敗れたものの、世代上位の実力を改めて示した。
| 年 | レース | 格 | 着順 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1995年 | 若葉S | OP | 1着 | 皐月賞トライアル |
| 1995年 | 皐月賞 | GⅠ | 1着 | サンデー産駒初のクラシック制覇 |
| 1995年 | 日本ダービー | GⅠ | 2着 | タヤスツヨシに次ぐ |
| 1995年 | 天皇賞(秋) | GⅠ | 2着 | 古馬相手に好走 |
| 1996年 | マイルチャンピオンS | GⅠ | 1着 | 外から捲ってGI2勝目 |
| 1997年 | 安田記念 | GⅠ | 2着 | |
| 1997年 | 天皇賞(秋) | GⅠ | 3着 |
マイルチャンピオンシップ——マイル王への転身
早々に引退してしまった同期のフジキセキやタヤスツヨシとは異なり、ジェニュインは翌年以降もマイルから中距離路線で現役を続けた。秋の天皇賞では古馬を相手に2着に好走するなど、確かな実力を見せ続けた。
そして1996年のマイルチャンピオンシップ。1番人気に支持されたジェニュインは、外から豪快に捲って先頭に立った。誰もが余裕の勝利かと思われたその瞬間、内から牝馬ショウリノメガミ(河内洋騎乗)が猛然と差し返してくる。一旦は勝ったと思って気を緩めかけた鞍上・岡部幸雄が、慌てて再びステッキを入れて追い出す一幕もあった。最後は1/2馬身差をしのいで優勝。皐月賞以来となる2つ目のGIタイトルを、距離を縮めたマイル戦で手にした。慢性的な球節の不安を抱えながらも、最高の舞台で結果を出す——まさに「本物」の名にふさわしい勝利だった。なお、このレースで3着に入ったのは、後にスプリント路線で活躍するエイシンワシントンだった。
松山調教師は「競走成績はその時の球節の状態の良し悪しに左右された」とコメントしている。万全の状態で走れたなら、さらに多くのタイトルを手にしていたかもしれない。1997年も安田記念2着、天皇賞・秋3着と好走を続けたが、この年限りで現役を退いた。
血統が語る「異系の良血」
ジェニュインの血統は、父サンデーサイレンスの初年度産駒という時代背景を抜きには語れない。父サンデーサイレンスは1989年の米年度代表馬で、日本に競馬の革命をもたらした大種牡馬だ。ヘイロー→ヘイルトゥリーズンと続く父系を持つ。
一方、母クルーピアレディーはアメリカで13勝を挙げた実力馬で、その父What LuckはBold Ruler(Nasrullah系)の系譜を引く。Bold Rulerは20世紀アメリカを代表する名種牡馬で、あの三冠馬セクレタリアトの父でもある。サンデーサイレンスの血に、アメリカの王道血脈Bold Ruler系のスピードとパワーが組み合わさった配合だった。「サンデーサイレンスよりも母のほうが良い血統」と評する向きもあったほどで、母系の充実ぶりがジェニュインの素質を支えていた。
クルーピアレディー牝系 近親の活躍馬
- ジェニュイン(1992、父サンデーサイレンス)— 皐月賞・マイルチャンピオンS制覇
- アサクサキングス(甥にあたる)— 2007年菊花賞制覇
- アドマイヤズーム(近親)— 2024年朝日杯フューチュリティS制覇
- 叔母にカナダ重賞2勝のPremier Question
種牡馬として——オーストラリアで開花した血
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入りし、初年度から122頭に種付けする人気を得た。日本では中央の平地重賞勝ち馬がメイプルロード(2002年小倉2歳ステークス)にとどまるなど期待ほどの成績は残せなかったが、2001年から供用されたオーストラリアで産駒が好評を博した。
オーストラリアに残した産駒からは、ポンペイルーラー(Pompeii Ruler)が2007年の豪G1オーストラリアンカップを制覇。ジェニュインが日本で果たせなかった産駒のGI級競走勝利を、南半球の地で飾ったのだった。2015年1月19日、功労馬として繋養されていた社台スタリオンステーションで放牧中の怪我により死亡。23歳だった。
ジェニュイン この馬を一言で言うなら
- サンデーサイレンス産駒として初めてクラシック(皐月賞)を制した歴史的な一頭
- フジキセキ離脱の混迷を突いて栄冠を掴んだ「正真正銘の実力馬」
- 慢性的な球節の不安と戦いながらマイルCSも制した勝負強さ
- 父サンデーサイレンス×母父What Luck(Bold Ruler系)の異系の良血
- 種牡馬としてはオーストラリアでGI馬ポンペイルーラーを輩出


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