2度の骨折——遅れに遅れたデビュー

フラワーパーク 基本情報
生年月日1992年5月8日
性別
毛色鹿毛
産地北海道
ニホンピロウイナー
ノーザンフラワー
母の父ノーザンテースト
調教師松元省一(栗東)
主戦騎手田原成貴(重賞初挑戦以降)
通算成績18戦7勝
主な勝ち鞍高松宮杯(GⅠ)
スプリンターズS(GⅠ)
シルクロードS(GⅢ)
表彰1996年JRA賞最優秀短距離馬
最優秀父内国産馬
死亡2024年4月6日(32歳)

フラワーパークは当初、1994年秋にデビューする予定だった。しかし予定していた初戦の直前に骨折が判明し、6カ月間の休養を余儀なくされる。ようやく復帰調教を再開したかと思えば、今度は再び骨折が判明。デビューは予定よりまる1年遅れ込み、3歳(現表記)の秋、1995年10月までずれ込んでしまった。

満を持して迎えた新潟の未勝利戦は、村山明を鞍上に5番人気10着という平凡な結果。この馬が翌年、日本競馬史に残る大偉業を成し遂げることになろうとは、その時点では誰も想像できなかったに違いない。

しかし11月、同じ新潟のマイル戦となった2戦目で初勝利を挙げると、状況は一変する。500万下の恵那特別を4馬身差で圧勝し、続く900万下・千種川特別も逃げ切り勝ち。デビューからわずか2カ月で3勝をマークするという、まさに上昇気流に乗った走りを見せた。

シルクロードSで重賞初制覇——田原成貴との出会い

明けて1996年、4歳(現表記)初戦の石清水ステークスは3着に敗れたが、続くうずしおステークスで準オープンを突破。陽春ステークスではエイシンワシントンと僅差の2着に入ると、続くシルクロードステークスで重賞初挑戦に臨んだ。

4番人気という評価ながら、GI優勝馬のヒシアケボノ、ヤマニンパラダイスらを相手に、フラワーパークは見事重賞初制覇を遂げる。走破タイム1分7秒6は京都競馬場芝1200メートルのコースレコードタイという快時計だった。このレースから鞍上は田原成貴に替わり、以後引退までこのコンビが続くことになる。騎手・田原成貴、調教師・松元省一、厩務員・東郁夫という陣容は、JRA顕彰馬トウカイテイオーの競走生活晩年と同じ布陣でもあった。

高松宮杯——三冠馬撃破、デビューから7カ月でのGI制覇

この年から施行距離が2000メートルから1200メートルに短縮され、「春の短距離王決定戦」として新たにGIに昇格した高松宮杯。フラワーパークの父・ニホンピロウイナーが活躍した時代にグレード制が整備されたのと同じように、奇しくも娘の代でも制度改編という偶然の追い風が吹いた。

この記念すべき第1回には、クラシック三冠馬ナリタブライアンが出走。「短距離のスペシャリスト対三冠馬」という異色の対決構図が大きな注目を集めた。当日は中京競馬場の入場人員記録となる7万4201人が集結。フラワーパークはヒシアケボノ、ナリタブライアンに次ぐ3番人気の評価だった。

レースは前半600メートルを33秒1という速いペースの中、フラワーパークは3番手で先行。直線で抜け出すと後続を突き放し、2着ビコーペガサスに2馬身半差をつけて優勝した。走破タイム1分7秒4は中京1200メートルのコースレコード。ナリタブライアンを4着に退けたこの勝利について、調教師の松元省一は「やはりスピード勝負ではこちらの方が断然上」と自信をのぞかせている。デビューからわずか7カ月余りでのGI制覇——史上最短記録となる古馬GI制覇だった。

1996年スプリンターズS——わずか1センチの大接戦

高松宮杯後、1600メートル戦の安田記念に挑むが、距離が長すぎたか9着に完敗。休養を挟んで秋を迎えると、当時GⅡだったCBC賞から始動するという一本釣りのローテーションが組まれた。そのCBC賞では、軽快に逃げたエイシンワシントンに3/4馬身及ばず2着。春秋スプリント連覇に早くも暗雲が立ち込めた。

そして本番、秋の短距離GI・スプリンターズステークス。重賞では初めてとなる1番人気に推されたフラワーパークは、逃げたエイシンワシントンをマークする形で2番手を追走する。直線では逃げ粘る同馬を必死に追い詰め、最後はほぼ同時にゴールへ飛び込んだ。

ゴール寸前で「ゴム毬を素早く握ると、次の瞬間膨張する」という理屈を利用した”奥の手”を使った—— 田原成貴、後年このレースについて語った言葉

12分間にも及ぶ長い写真判定の結果、ハナ差でフラワーパークが優勝。その着差は数字に換算すると、わずか1センチという、現在も破られていない記録的な僅差だった。春秋短距離GI連覇を達成し、史上初となる「同一年スプリントGI完全制覇」を成し遂げた瞬間だった。

主要戦績(抜粋)
レース着順備考
1996年シルクロードSGⅢ1着重賞初制覇・コースレコードタイ
1996年高松宮杯GⅠ1着ナリタブライアンを4着に・コースレコード
1996年安田記念GⅠ9着距離が長く完敗
1996年CBC賞GⅡ2着エイシンワシントンに3/4馬身
1996年スプリンターズSGⅠ1着エイシンワシントンに1cm差・春秋連覇
1997年スプリンターズSGⅠ4着引退レース

フラワーパークが打ち立てた記録

  • 史上初・同一年スプリントGI完全制覇(高松宮杯・スプリンターズS)
  • デビューから7カ月余りでの史上最短古馬GI制覇記録
  • 1996年スプリンターズS、着差1センチは日本競馬史上最僅差級の記録
  • 高松宮杯・スプリンターズS、共にコースレコード(タイ)勝利
  • 2024年没・32歳は当時の存命GI馬最高齢記録

最優秀短距離馬、そして惜しくも次点に終わった牝馬王座

このスプリンターズステークスを最後にシーズンを終えると、翌1月の年度表彰で最優秀短距離馬と最優秀父内国産馬に選出された。最優秀5歳以上牝馬の選出も有力視されていたが、エリザベス女王杯を制し107票を集めたダンスパートナーが受賞し、フラワーパークは49票で次点となった。

翌1997年も現役を続行。当初引退を予定していた田原成貴は、もう一頭の主戦馬マヤノトップガンと、このフラワーパークに合わせる形で現役続行を決めていた。しかし前年の勢いは失われ、連対(2着以内)も確保できない成績が続く。当年のスプリンターズステークス4着を最後に、現役を退き繁殖入りとなった。

血統が語る「短距離王」の系譜

フラワーパークの父・ニホンピロウイナーは、マイルチャンピオンシップを2勝、安田記念も制覇して3年連続最優秀スプリンターに輝いた、まさに「短距離王」と呼ぶにふさわしい名馬だった。グレード制導入とともに整備されたマイルGIを主戦場とし、八大競走と呼ばれた中長距離の大レースに対して「裏街道」と称されていた短距離・マイル路線に活路を開いた存在として知られる。その父スティールハートは英愛仏で走ったミドルパークステークス(G1・芝6F)勝ち馬で、スプリンターの血を色濃く伝えていた。

母・ノーザンフラワーの父はノーザンテースト。サクラチトセオーの記事でも触れたとおり、フォレ賞(G1)を制し、JRAリーディングサイアーに11年連続で輝いた大種牡馬だ。父ノーザンダンサーの血を引くノーザンテーストは、母系を通じてフラワーパークにスピードの持続力を伝えた。短距離に特化した父系のスピードと、母系に流れるノーザンダンサー系のパワーが組み合わさった配合が、あの圧倒的な瞬発力を生み出したと言えるだろう。

32年の生涯——存命最高齢GI馬として

繁殖牝馬となってからは、体質の弱さもあってか出世しきれない産駒が多かったが、ディープインパクトとの間に生まれたヴァンセンヌが、2015年に東京新聞杯(GIII)を制覇。同年の安田記念でもモーリスにクビ差まで迫る2着と健闘し、母から受け継いだ瞬発力を見せつけた。ヴァンセンヌは種牡馬入りし、その産駒イロゴトシは中山グランドジャンプを連覇している。

2023年2月、ウイニングチケットが33歳で死去したことにより、フラワーパークは存命GI馬最高齢となった。2024年1月には同期のエイシンサンサンが32歳で死去し、存命JRA重賞勝利馬最高齢の座にも就いた。そして同年4月6日、32歳でその生涯を終えた。

すごく思い入れが強かった—— 田原成貴、フラワーパーク死去の報を受けて

2度の骨折を乗り越え、デビューからわずか7カ月でGIを制し、わずか1センチの差で春秋連覇を成し遂げた快速の牝馬。その生涯は32年という、競走馬としては破格の長さを刻み、平成から令和という時代を見届けながら静かに幕を閉じた。

フラワーパーク この馬を一言で言うなら

  • 2度の骨折を乗り越え、デビューから半年で重賞→GIへ駆け上がった快速の牝馬
  • 史上初の同一年スプリントGI完全制覇(高松宮杯・スプリンターズS)
  • エイシンワシントンとの1996年スプリンターズS、わずか1センチの大接戦は競馬史上屈指の名勝負
  • 父ニホンピロウイナー(短距離王)×母父ノーザンテーストという王道の短距離配合
  • 田原成貴「ゴム鞠の奥の手」というエピソードとともに語り継がれる
  • 2024年に32歳で死去、当時存命GI馬最高齢という驚異の長寿を全うした