ガラスの脚と鋼鉄の魂――サクラローレルという奇跡

優駿達

はじめに

競馬には「王道」という言葉がある。2歳でデビューし、クラシック戦線で名を上げ、古馬になってG1を制する。多くの名馬がたどってきた、その輝かしい道のりだ。

しかしサクラローレルは、その「王道」をまったく歩まなかった。クラシックには一度も出走せず、5歳(現表記4歳)の1年間を骨折で棒に振り、G1の舞台に立ったのは一般的な名馬なら引退していてもおかしくない6歳(現表記5歳)になってからだった。

それでも彼は、ナリタブライアン、マヤノトップガン、マーベラスサンデーという時代を代表する強豪たちを次々と打ち破り、1996年のJRA年度代表馬に輝いた。

「不屈の挑戦者」――その異名は、彼の生涯をあまりにも正確に言い表している。そしてその不屈の魂の根底にあったのは、欧州の名血が育んだ「本物の底力」だった。


「サクラ」の夢――馬主・全演植の野望

サクラローレルを語るとき、まず馬主・全演植(チョン・ヨンシク)の存在を無視することはできない。

日本競馬界において「サクラ軍団」として知られた全は、サクラチヨノオー(日本ダービー・朝日杯3歳S制覇)、サクラバクシンオー(スプリンターズS連覇)など多くの名馬を所有した大馬主だ。しかし彼の胸には、ひとつの大きな野望があった。

「凱旋門賞を勝ちたい」

その夢のために、全はフランスへ渡り、現地で20頭ほどの競走馬をまとめて購入した。その際、「おまけのように」付いてきたのが、牝馬・ローラローラだった。

このローラローラとの出会いが、のちのサクラローレルという奇跡につながっていく。


母・ローラローラ――フランスが生んだ秘めたる良血

ローラローラは、フランスの名馬サンシリアン(Saint Cyrien)を父に持つ牝馬だ。サンシリアンは仏3歳チャンピオンの称号を持つ一流馬であり、その血を受け継ぐローラローラもまた、フランスでは高い評価を得ていた。

フランスでのローラローラの戦績は6戦1勝。数字だけを見れば地味に映るかもしれない。しかし注目すべきは、その6戦の中にフランスオークスへの出走が含まれていることだ。フランスオークスは、英・愛のオークスと並ぶ欧州クラシック三冠牝馬競走のひとつ。そこに出走できるということは、血統・資質ともに最上級と認められた証に他ならない。

現地でも高く評価されていたローラローラが早めに引退したのは、「あまり走らせすぎて消耗させると、繁殖牝馬としての将来に悪影響があるから」という理由からだった。それほど、この牝馬の繁殖としての価値は見込まれていた。

ちなみに後年、日本でも名を馳せることになるフランスの名ジョッキー・オリビエ・ペリエは、まだ騎手見習いだったころにローラローラにまたがらせてもらい、「なんていい馬なんだ……」と感動したというエピソードが残っている。


父・レインボウクエスト――凱旋門賞馬の血

全演植が次に考えたのは、ローラローラにどの種牡馬を配合するかだった。

「凱旋門賞馬の仔で、凱旋門賞を取りたい」

その言葉通り、全が選んだのは1985年の凱旋門賞優勝馬・レインボウクエスト(Rainbow Quest)だった。

レインボウクエストは、凱旋門賞に加え、コロネーションC(英G1)でも優勝し、愛ダービーでも2着に入った欧州中長距離の一流馬だ。種牡馬としても、英国ダービー馬クエストフォーフェイムや、凱旋門賞父子二代制覇を成し遂げたソーマレズを輩出するなど、名種牡馬としての地位を確固たるものとしていた。

レインボウクエストの父系をさかのぼると、Blushing Groom(ブラッシンググルーム)→ Red God(レッドゴッド)→ Nasrullah(ナスルーラ)という系譜に行き着く。ナスルーラはNear Northという名馬の子孫であり、欧州の芝中長距離に卓越した適性を持つ血統として知られている。また母系にはHerbager(エルバジェール)の血が流れており、これもフランス競馬を代表する名血だ。

凱旋門賞制覇という実績が証明するように、レインボウクエストが子孫に伝えるものは明確だった。それは「欧州の芝中長距離における底力と持続力」である。2400メートルを超えるタフなレースで、最後まで脚を使い続ける能力――それこそが、この父の最大の遺産だった。


血統の融合が示す「ステイヤーの資質」

ローラローラ×レインボウクエストという配合を整理すると、次のような血統的特徴が浮かび上がる。

父系(レインボウクエスト)のもたらすもの:

  • 凱旋門賞馬としての欧州中長距離の底力
  • Blushing Groom系のスタミナと力強さ
  • コロネーションCなど英国G1でも活躍した万能性

母系(ローラローラ)のもたらすもの:

  • 仏3歳王者サンシリアン産駒としての質の高さ
  • フランスオークス出走馬の繁殖としての高いポテンシャル
  • 欧州牝系が育んだしなやかさとスタミナ

父母ともに欧州の血統で固められたこの配合は、日本競馬で主流となっていたスピード重視の血統とは一線を画す「重厚な欧州型」だった。日本的な速さや瞬発力よりも、タフな条件で粘り強く走り続ける持久力と底力を高い次元で備えた馬が生まれる可能性を秘めていた。

そしてそれはまさに、のちにサクラローレルが天皇賞(春)という3200メートルの長距離G1で真骨頂を発揮した事実と完全に一致する。


「こんなにきれいな馬は見たことがない」

ローラローラを宿したまま日本に輸入され、静内の谷岡牧場に預けられた後、1991年5月8日、栃栗毛の牡馬が誕生した。それがサクラローレルである。

谷岡牧場は、トウメイ(天皇賞・有馬記念制覇)、サクラチヨノオー(日本ダービー・朝日杯3歳S制覇)など多くの名馬を生産してきた北海道の名門牧場だ。その牧場の人々も、この子馬の誕生には固唾をのんで臨んでいた。

「こんなにきれいな馬は見たことがない」「これは3年後が楽しみだ……」

それまでに何頭もの名馬の誕生に立ち会ってきた牧場スタッフが、思わずうならずにはいられなかったという。欧州の名族の血を引くその立ち姿は、寄せていた期待をはるかに超えるものだったのだ。

また、この日たまたま谷岡牧場を訪れていた境勝太郎調教師も、子馬を一目見るなりたちまちその虜となり、その日のうちに自分の厩舎に入れる話を決めてしまったという。

しかし、美しく生まれたサクラローレルを待っていたのは、栄光へのまっすぐな道ではなかった。


遅咲きの始まり――デビューまでの苦難

サクラローレルは成長が遅く、飛節が弱いなど体質に不安を抱えていた。3歳(現表記2歳)ではデビューできず、4歳(現表記3歳)となった1994年1月6日、骨膜炎を抱えながらも中山の新馬戦(芝1600メートル)でようやく初陣を迎えた。

1番人気に推されながらも9着と大敗。続く2戦目の新馬戦も3着と勝ち切れず。弱い脚元を考慮してダートに転向した3戦目で初勝利を挙げた。

その後、日本ダービーを目標に青葉賞(G3)に出走し3着と健闘したが、かねてより不安のあった球節炎が再発。ダービーへの出走を断念し、休養に入った。

秋に復帰するも、セントライト記念8着と振るわず。しかし暮れになって特別レースを2連勝し、翌年の中山金杯(G3)を制してオープン入りを果たした。

デビューからここまで、華やかさとはほど遠い道のりだった。しかし、欧州血統が持つ「晩成の才」は、まだその本領を発揮していなかった。


「競走能力喪失」の宣告――骨折との戦い

金杯制覇から間もなく、サクラローレルに悲劇が訪れた。

天皇賞(春)を目標に調教を積んでいた1995年4月、調教中に両前脚を骨折。「競走能力喪失に等しい」という診断が下された。競走馬がこのような診断を受けた場合、多くはそのまま引退となる。命さえ落としかねない重傷だったのだ。

しかし、調教師・境勝太郎は諦めなかった。サクラローレルが持つヨーロッパの貴重な血統と、その高い潜在能力を信じ、現役続行を決断した。

療養は厩舎内で行われた。担当厩務員が定年退職となり、新たな担当を募ったが、故障馬の世話を引き受ける者はなかなか現れなかった。そこで境は、自身の孫であり騎手・小島太の息子でもある小島良太を指名する。

384日という長い休養の中、良太はサクラローレルに寄り添い続けた。脚が癒え、馬体が戻っていく日々。その絆が、のちの奇跡の伏線となる。


復活の一撃――1996年中山記念、9番人気の衝撃

384日ぶりの復帰戦として選ばれたのは、1996年2月の中山記念(G2)だった。

「無事に走り切れるかどうか」が最大の焦点であり、単勝オッズは9番人気。誰もが、骨折明けの古傷を案じていた。

しかし、スタートが切られると、サクラローレルは後方から虎視眈々と機会をうかがった。そして直線、満を持して一気に差し切る。着差は圧倒的。低評価をあざ笑うかのような、強烈な勝ち方だった。

脚が戻っただけでなく、長い休養を経て心身ともに一段階強くなっていた。欧州の重厚な血統が育んだ底力が、ここに初めて全開となった瞬間だった。


天皇賞(春)――「二強」を粉砕した歴史的勝利

中山記念制覇から2ヶ月後、1996年5月の天皇賞(春)がサクラローレルの真価を世に知らしめる舞台となった。

この年の天皇賞(春)は、前年の三冠馬ナリタブライアンと、前年グランプリ覇者にして阪神大賞典でナリタブライアンと壮絶なデッドヒートを演じたマヤノトップガンという「二強」が中心視されていた。サクラローレルはその2頭に次ぐ3番人気。

レースは波乱に富んでいた。かつての三冠馬ナリタブライアンは故障明けで本来の走りができず。マヤノトップガンも直線で力尽きた。そこへ後方から豪快に差し込んできたのがサクラローレルだった。

3200メートルという長丁場で末脚を爆発させるには、スタミナと持続力が不可欠だ。まさにレインボウクエスト×ローラローラという欧州血統が最も輝ける舞台がここだった。

「凱旋門賞馬の仔で凱旋門賞を取りたい」という全演植の夢が形を変えて、日本の春の大舞台で結実した。


有馬記念――マーベラスサンデーを退け、年度代表馬へ

天皇賞(春)制覇後、慢性的な脚部不安を抱えながらも秋のオールカマー(G2)を制したサクラローレルは、年末の有馬記念へと駒を進めた。

ここでの相手は、秋のG1戦線を席巻していたマーベラスサンデーをはじめ、強豪が揃っていた。しかしサクラローレルは怯まなかった。中山2500メートルという、スタミナと底力が問われる舞台で、再び後方から差し切る横山典弘騎手のガッツポーズが中山に弾けた。

この有馬記念制覇により、サクラローレルは1996年のJRA年度代表馬に輝く。クラシック未出走、6歳(現表記5歳)での戴冠という、日本競馬史に残る「異端の年度代表馬」の誕生だった。


血統が証明した「欧州型ステイヤーの真価」

サクラローレルの戦績(22戦9勝)を振り返ると、彼が最も輝いたのは一貫して「中長距離の芝」だった。これはレインボウクエスト×ローラローラという配合が約束していた資質そのものだ。

父レインボウクエストが制した凱旋門賞は2400メートル。天皇賞(春)は3200メートル、有馬記念は2500メートル。サクラローレルのG1制覇はすべて2000メートル超の中長距離に集中している。スピードではなく、持久力と底力で勝負するという「欧州型ステイヤー」の本質が、ここに表れている。

また、ナリタブライアン・マヤノトップガン・マーベラスサンデーという時代を代表する三強を相手に、どれも力負けせず勝ち切ったことも重要だ。これは単なる「運の良さ」ではない。本物の高い能力、すなわち欧州の名血が培った底力の証明だ。


おわりに

サクラローレルという馬を血統の観点から見るとき、私たちは「血は嘘をつかない」という競馬の真理を改めて実感する。

凱旋門賞馬レインボウクエストと、仏オークス出走牝馬ローラローラ。ともに欧州の重厚な名血を持つ父母から生まれたサクラローレルは、晩成ゆえにクラシックには縁がなく、重傷骨折で1年以上を失い、G1の舞台に立ったのは6歳になってからだった。

それでも彼は、自分の血統が持つ「本物の力」を信じるかのように走り続けた。そして最後に、時代の最強馬たちを退けて年度代表馬の座を射止めた。

「王道」を歩まなかったからこそ、サクラローレルの物語は輝きを増す。欧州の名血が日本の競馬場で咲かせた「遅咲きの大輪」は、今もなお多くの競馬ファンの記憶に深く刻まれている。


※本記事はWikipedia、列伝サイト(retsuden.com)、アイケー血統研究所等の公開情報をもとに作成しています。戦績の詳細については、netkeibaや公式資料にてご確認ください。

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