ダートの短距離馬から——遅咲きの始まり

マヤノトップガン 基本情報
生年月日1992年3月24日
性別
毛色栗毛
産地北海道新冠町
生産川上悦夫牧場
ブライアンズタイム
アルプミープリーズ
母の父ブラッシンググルーム
馬主田所 祐
調教師坂口正大(栗東)
主戦騎手田原成貴
通算成績21戦8勝
主な勝鞍菊花賞(GⅠ)
有馬記念(GⅠ)
宝塚記念(GⅠ)
天皇賞・春(GⅠ)
阪神大賞典(GⅡ)
表彰1995年JRA賞年度代表馬
死亡2019年11月3日(27歳)

1992年3月24日、北海道新冠町の川上悦夫牧場で、父ブライアンズタイムの牡馬が生まれた。馬主は兵庫県神戸市灘区にある田所病院の院長・田所祐。冠名「マヤノ」は、神戸の名峰・摩耶山に由来する。管理を任されたのは、栗東トレーニングセンターの坂口正大調教師だった。

骨瘤(こつりゅう)を患ったためデビューは遅れ、ようやくターフに姿を現したのは4歳(現表記3歳)になった1995年1月のことだった。しかもデビュー当初は体質が弱く、ダートの短距離戦ばかりを使われる日々。後にG1を4勝する大物の片鱗は、この時点ではまだ誰の目にも明らかではなかった。春のクラシックには到底間に合わず、世代の主役レースは、はるか遠い世界の出来事のように過ぎていった。

転機は秋に訪れる。本格化したマヤノトップガンは、神戸新聞杯・京都新聞杯と菊花賞トライアルで連続2着。優先出走権を得て、世代の頂点を決める菊花賞の舞台へとたどり着いたのである。

“乱菊”を制す——G1初制覇が重賞初制覇

1995年の菊花賞は、皐月賞馬不在、ダービー馬タヤスツヨシ不調、さらにオークス馬ダンスパートナーが牝馬の身で参戦するという、出走馬の不確定要素の多さから「乱菊(らんぎく)」と称された。夏の上がり馬として3番人気に推されたマヤノトップガンは、4コーナーで先頭に立つ積極策から押し切って優勝。なんと、重賞初制覇をいきなりG1の大舞台で飾るという離れ業をやってのけた。

そして、この勢いは止まらない。続く有馬記念では、前年の三冠馬ナリタブライアン、”女傑”ヒシアマゾン、秋の天皇賞馬サクラチトセオー、古馬で力をつけたタイキブリザードといった、そうそうたるメンバーが顔を揃えた。菊花賞馬とはいえ4歳のマヤノトップガンは6番人気の評価。しかし、ここでもマヤノトップガンは意表を突いた。今度は一転して逃げの戦法に出ると、タイキブリザードに2馬身差をつけて押し切ってしまったのだ。

震災の年に灯った希望

1995年は、1月17日に阪神・淡路大震災が発生した年だった。馬主の田所祐をはじめ、関西の競馬関係者の多くが被災する中、マヤノトップガンは年間13戦を走り抜き、有馬記念戴冠までを成し遂げた。

1976年のトウショウボーイ以来となるデビュー年での有馬記念優勝。そして、その走りは打ちひしがれた被災地に、確かな希望の光を灯した。マヤノトップガンはこの年のJRA賞年度代表馬に選出される。ダートの短距離馬として始まった馬が、わずか1年でたどり着いた、誰も予想しなかった頂きだった。

伝説の死闘——1996年 阪神大賞典

マヤノトップガンの全戦績を語るとき、多くのファンが真っ先に挙げるのが、勝ち鞍ですらないこのレースだ。1996年春の阪神大賞典——三冠馬ナリタブライアンとの、年度代表馬同士の一騎打ちである。

復活を期すナリタブライアンが1番人気、前年の年度代表馬マヤノトップガンがそれに続く。2周目の3コーナーを過ぎたあたりでマヤノトップガンが馬なりで先頭に立つと、ナリタブライアンが外から並びかける。2頭は後続を一気に引き離し、完全なマッチレースの様相となった。

同じブライアンズタイム産駒という血のなせる業か、2頭はフォームを全くシンクロさせて最後の直線へと向かっていった——。 — 優駿WEB「2世代の年度代表馬による、まごうことなき名勝負」より

直線でも両者一歩も譲らず、まさに「死闘」と呼ぶにふさわしい壮絶な叩き合い。結果は、アタマ差でナリタブライアンの貫禄勝ち。マヤノトップガンは2着に敗れたものの、3着のルイボスゴールドには1.5秒、実に9馬身もの差をつけていた。2頭がいかに次元の違う戦いをしていたかが分かる。このレースは勝者・敗者という枠を超え、「伝説のGⅡ」として日本競馬史に永遠に刻まれることとなった。

主要戦績
レース着順備考
1995年菊花賞GⅠ1着重賞初制覇をG1で飾る
1995年有馬記念GⅠ1着6番人気・逃げ切り・年度代表馬へ
1996年阪神大賞典GⅡ2着ナリタブライアンに頭差・伝説の死闘
1996年宝塚記念GⅠ1着春秋グランプリ連覇
1996年天皇賞(秋)GⅠ2着バブルガムフェローに半馬身
1997年阪神大賞典GⅡ1着後方からの差し切り
1997年天皇賞(春)GⅠ1着3分14秒4のレースレコード

春秋グランプリ連覇——新王者の風格

1996年の宝塚記念は、三冠馬ナリタブライアンも春の天皇賞馬も不在という、マヤノトップガンにとって「負けられない一戦」だった。1番人気に応えて好位から抜け出すと、危なげなく優勝。前年の有馬記念に続く、史上7頭目の春秋グランプリ連覇を達成した。

奇しくもこの宝塚記念は、震災からの復旧を遂げた阪神競馬場で行われた「震災復興支援競走」だった。馬主・田所にとって、弟夫婦を含む被災地への弔いと祈りが込められた、特別な意味を持つ勝利でもあった。終わってみれば「勝って当然」と評されたこの一戦は、皮肉にも彼の評価を大きく高めるには至らなかったが、王者としての務めを淡々と果たすその姿には、確かな風格が漂っていた。

能力の全開——1997年 天皇賞(春)の豪脚

これまでのマヤノトップガンのG1・3勝は、「牝馬が1番人気となる菊花賞」「意表を突いて逃げた有馬記念」「有力馬が多数欠場した宝塚記念」と、相手関係や鞍上・田原成貴の好判断の賜物だと見られ、その実力は必ずしも正当に評価されていなかった。

1997年、6歳(現5歳)を迎えた陣営は、それまでの逃げ・先行策を捨て、馬の気持ちに任せる戦法へと舵を切る。すると、阪神大賞典を後方からの追い上げで快勝。そして迎えた天皇賞(春)で、マヤノトップガンはついにその真の実力を世に証明する。

サクラローレル、マーベラスサンデーという「三強」のライバルが直線で激しく競り合う中、マヤノトップガンは最終コーナーを手応え抜群で回り、大外に持ち出して鋭い末脚を爆発させた。先行2頭をまとめて差し切り、サクラローレルに1¼馬身、マーベラスサンデーに1½馬身差をつけて優勝。

走破タイム3分14秒4は、1993年にライスシャワーが記録した従来のレコードを2.7秒も更新するレースレコード。マチカネタンホイザの持つ芝3200メートルの日本レコードをも2.4秒上回る、驚異的な時計だった。 — 第115回天皇賞(春)の記録より

変幻自在の脚質を持つこの馬が、最後にたどり着いた「後方一気」という結論。その豪脚は、これまで燻り続けていた「マヤノトップガンの実力」への疑念を、完膚なきまでに吹き飛ばすものだった。これがGⅠ通算4勝目。鞍上の田原成貴にとっても、14回目の挑戦で初めて掴んだ天皇賞(春)の栄冠だった。

血統が語る「Nasrullah主導の豊富なスタミナ」

マヤノトップガンの父・ブライアンズタイムは、英ダービー馬ロベルトを父に持つ名種牡馬。半弟ではなく異父弟の関係ながら、同じブライアンズタイム産駒には三冠馬ナリタブライアンがおり、阪神大賞典でのあの「フォームがシンクロした」死闘は、同じ父を持つ2頭ゆえの必然だったのかもしれない。

母・アルプミープリーズの父は、フランスの名馬ブラッシンググルーム。仏2000ギニーを制し、種牡馬としてもナシュワン(英ダービー)やレインボウクエスト(凱旋門賞)を輩出したNasrullah系の名血だ。一見すると、母父ブラッシンググルームの父Red Godが強調されることからスピード型の配合に見える。しかし血統分析では、その実、注入されている要素の大半はスタミナ勢力であり、Nasrullah主導の強固な血の結合と豊富なスタミナこそが、マヤノトップガンの強さの根拠だと評価されている。

菊花賞(3000m)から天皇賞・春(3200m)まで、長距離GIで無類の強さを発揮した一方、有馬記念(2500m)や宝塚記念(2200m)といった中距離でも勝ち切る幅広い距離適性。それは、この血統が秘めた「スピードとスタミナの絶妙なバランス」の表れだったと言えるだろう。

血統的背景――名馬たちとのつながり

  • 父ブライアンズタイム — 三冠馬ナリタブライアン、サニーブライアン(ダービー・皐月賞)、ファレノプシスらを輩出した名種牡馬
  • 母父ブラッシンググルーム — Nasrullah系の世界的名種牡馬。ナシュワン、レインボウクエストの父
  • 祖母スイス — 仏G3ミネルヴ賞3着。叔父スウィンクはパリ大賞典(G1)優勝
  • 同父の好敵手 — ナリタブライアンとは同じブライアンズタイム産駒

「トップガン」の名のとおり——撃墜王の晩年

天皇賞(春)を最後に、マヤノトップガンは現役を退いた。「トップガン」とは、映画になぞらえれば最高の撃墜王の意。試行錯誤の4歳時から数えて、菊・有馬・宝塚・春天と4つのG1を撃ち落とした生涯は、まさにその名にふさわしいものだった。惜しむらくは、その才能が完全に開花した矢先に、競走生活の幕を閉じてしまったこと。「もう少し、続きを見たかった」——多くのファンが、今もそう惜しむ。

引退後は新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬入り。初年度から81頭を集め、2001年からは9年連続で100頭以上の種付けをこなすという、入れ替わりの激しい種牡馬の世界で堂々たる人気を維持した。プリサイスマシーン(スワンステークスなど重賞4勝)、チャクラ(目黒記念・ステイヤーズステークス、後継種牡馬入り)、ムスカテール(目黒記念)など、ダート馬から短距離馬、ステイヤーまで、まさに「変幻自在」の父らしくオールマイティーな産駒を送り出した。

2019年11月3日、27歳でその生涯を終えた。震災の年に希望を運んだ栗毛の撃墜王は、平成という時代をほぼ走り抜き、令和の幕開けを見届けるようにして、静かに天へと駆けていった。

【筆者の思い出】ゴム鞠のような末脚——あの瞬間のガッツポーズ

正直に言おう。マヤノトップガンは、私の競馬人生における「1番の推し」だ。

数々のレースを見てきたが、最も鮮烈に記憶に残っているのは1997年の天皇賞(春)だ。そのレースで、私はガッツポーズをした。テレビの前で、一人で。それほどまでに興奮した瞬間だった。

あの末脚の表現として、「ゴム鞠のように弾む」という言葉以上に的確なものを私は知らない。直線に向いた瞬間、後方にいたマヤノトップガンが信じられないほど軽やかに弾んで前との差を詰めていく。重さを感じさせない、どこか浮いているような脚の回転。あれは他の馬では見られない特別な末脚だった。

そしてサクラローレル。当時の私にとって、サクラローレルはどこまでも高い壁だった。どんな条件のレースでも、どんな馬場でも、どんな展開でも、ゴール前に必ずあの馬の影がある。「マヤノトップガンが勝てない馬」——それが、この天皇賞(春)を迎えるまでの私の正直な感覚だった。一生、あの馬には勝てないんじゃないかとすら思っていた。

だからこそ、直線で差し切った瞬間のガッツポーズは、今でも指の先まで覚えている。画面の向こうで田原成貴が、こちらの気持ちを代弁するように天を指した。あの瞬間は、競馬を見てきた中でも間違いなく最高の一瞬のひとつだ。

マヤノトップガン この馬を一言で言うなら

  • ダートの短距離馬から1年で年度代表馬に上り詰めた遅咲きの大器
  • 逃げ・先行・追い込みを自在に操った「変幻自在のG1ハンター」
  • 菊花賞・有馬記念・宝塚記念・天皇賞春のGI4勝という輝かしい実績
  • ナリタブライアンとの阪神大賞典「伝説の死闘」は競馬史に残る名勝負
  • 天皇賞・春3分14秒4のレコードで真の実力を証明した
  • 阪神・淡路大震災の年に、被災地へ希望を運んだ栗毛の撃墜王