米国生まれ、アイルランド育ち——異例の経歴を持つ「外国産馬」

タイキシャトル 基本情報
生年月日1994年3月23日
性別牡(セン)
毛色栗毛
産地米国(Taiki Farm)
Devil’s Bag
ウェルシュマフィン
母の父Caerleon
馬主(有)大樹ファーム
調教師藤沢和雄(美浦)
主戦騎手岡部幸雄
(2戦のみ横山典弘)
通算成績16戦12勝
主な勝ち鞍ジャック・ル・マロワ賞(仏GⅠ)
マイルCS(GⅠ)×2
安田記念(GⅠ)
スプリンターズS(GⅠ)
京王杯スプリングC(GⅡ)
スワンS(GⅡ)
ユニコーンS(GⅢ)
表彰1997・1998年JRA賞最優秀短距離馬
1998年JRA賞年度代表馬(史上初・短距離馬)
1998年仏エルメス賞最優秀古馬
1999年JRA顕彰馬(史上25頭目)
死亡2022年8月17日(28歳)

タイキシャトルの経歴は、デビュー前からすでに異例だった。1994年3月23日、米国のタイキファームで生まれたこの栗毛の牡馬は、翌1995年初頭にアイルランドへ移送されて調教を受けた後、1996年7月に北海道の大樹ファームへ来日。藤沢和雄調教師の管理のもとでデビューすることが決まっていた。

しかし入厩までの道のりが険しかった。蹄のトラブルやソエ(管骨の骨膜炎)に悩まされ、予定より大幅に遅れて1997年2月にようやく美浦・藤沢厩舎に入厩。さらに入厩後も脚下の問題が続き、走らせるたびにソエが悪化するという状況が続いた。しかし藤沢師は焦ることなく、馬なり調教を貫いてこの馬の体質強化に努めた。

なお、タイキシャトルはセン馬(去勢馬)だった。気性の激しさを抑えるための処置だったが、この決断が後のレースでの安定したパフォーマンスにつながったとも言われる。

デビューから無双——3歳で短距離界の頂点へ

1997年4月、3歳でのダートデビューから圧勝続き。芝に転じてからも菖蒲S、ユニコーンS(ダート・GⅢ)と連勝。スワンS(GⅡ)を経て迎えたマイルチャンピオンシップ(GⅠ)では、強豪相手に圧巻の走りで初のGⅠ制覇。さらに続くスプリンターズS(GⅠ)も制し、3歳のうちに短距離界の絶対王者となった。

この年の主戦は岡部幸雄——「馬優先主義」を貫く日本競馬界屈指の名手だ。若い頃から欧米に視線を向け「西洋かぶれ」と陰口を叩かれながらも、日本馬で世界のGⅠを勝つという夢を持ち続けてきた岡部にとって、タイキシャトルとの出会いは運命的だった。

1997年の快進撃

1997年4月 デビュー
ダート新馬・OP特別を連勝。菖蒲S(OP)も制す。
1997年7月 ユニコーンS(GⅢ)
ダートGⅢを圧勝。重賞初制覇。
1997年10月 スワンS(GⅡ)
芝の重賞も難なく制す。マイル路線の最有力候補に。
1997年11月 マイルCS(GⅠ)
圧勝でGⅠ初制覇。キョウエイマーチが2着。「日本最強マイラー」の称号が定着する。
1997年12月 スプリンターズS(GⅠ)
連続GⅠ制覇。3歳にして短距離界の頂点に立つ。

藤沢和雄の「4年越しの夢」——悲願の海外遠征

タイキシャトルの偉業を語るうえで、藤沢和雄調教師の海外遠征への執念を外すことはできない。1995年のクロフネミステリーを皮切りに、1996年・1997年と2年続けてタイキブリザードを北米へ送り出したが、いずれも勝利には届かなかった。

「3年連続でオーナーに迷惑をかけて、また行かせてくださいとは正直言いづらかったです」 — 藤沢和雄調教師、タイキシャトル遠征前のコメント

それでも藤沢師は4度目の挑戦を決意した。馬主の大樹ファームは、クロフネミステリー、タイキブリザードとの遠征でも変わらず支援を続けてくれたオーナーだった。

遠征を決定づけたのが1998年6月の安田記念だった。当日は不良馬場——「この馬場で負けたら遠征をやめる口実になるな」と心のどこかで思っていたという藤沢師は、タイキシャトルがその不良馬場を圧勝するのを見て「これでは行かないわけにはいかなくなった」と苦笑したという。

1998年8月16日——ジャック・ル・マロワ賞、歴史が動いた

ドーヴィル直線1600m——「これで負ければ仕方ない」

7月中旬にフランスへ渡ったタイキシャトルは、「日本と同じスタンスで臨む」という藤沢師の方針のもと、現地でも馬なり調教で仕上げた。1週前にはシーキングザパールがモーリス・ド・ゲスト賞を制して日本調教馬初の欧州GⅠ制覇を達成——「シャトルなら楽勝ですよ」という森秀行師の言葉が、藤沢師にはプレッシャーだったという。

レース直前にはアクシデントも起きた。興奮気味になったタイキシャトルの蹄鉄がズレており、打ち直しが必要に。その際、装蹄師がタイキシャトルに蹴られて肋骨を骨折するという事態になったが、無事に打ち替えが完了してパドックへと向かった。

ジャック・ル・マロワ賞の舞台はドーヴィル競馬場の直線1600m——日本には存在しないコース形態だ。強力なライバルと見られていた欧州有力馬が直前に出走を回避したため、タイキシャトルの単勝オッズは1.3倍という圧倒的な1番人気となった。藤沢師も岡部も「これで負ければ仕方ない」という達観した心境でスタートを迎えた。

岡部幸雄は逃げるケープクロスの直後2番手を追走。残り200mを切って満を持して追い出すと、ケープクロス・アマングメンを半馬身抑えて先頭でゴールを駆け抜けた。日本調教馬として初めてジャック・ル・マロワ賞を制した瞬間——「日本馬で世界のGⅠを勝つ」という岡部の長年の夢が、ついに実現した。

競走成績(全16戦)
レース着順備考
1997年新馬戦(中山・D1200)1着岡部幸雄・圧勝
1997年菖蒲SOP1着芝初戦も快勝
1997年ユニコーンSGⅢ1着ダート重賞初制覇
1997年スワンSGⅡ1着芝重賞も快勝
1997年マイルCSGⅠ1着GⅠ初制覇・キョウエイマーチ2着
1997年スプリンターズSGⅠ1着GⅠ連勝・最優秀短距離馬受賞
1998年京王杯スプリングCGⅡ1着レコード勝ち
1998年安田記念GⅠ1着不良馬場を圧勝・遠征決定を後押し
1998年ジャック・ル・マロワ賞仏GⅠ1着単勝1.3倍・ケープクロス2着・日本調教馬初制覇
1998年マイルCSGⅠ1着凱旋レース完勝・年度代表馬受賞
1998年スプリンターズSGⅠ3着マイネルラヴ1着・引退レース

凱旋マイルCS——そして引退

ジャック・ル・マロワ賞制覇後、凱旋レースとなった1998年のマイルCSも圧勝——この年のGⅠ制覇はジャック・ル・マロワ賞を含む5勝という驚異的な成績だった。そして最後のレースとなったスプリンターズSでは、マイネルラヴの3着に敗れて引退。

1999年1月28日、史上25頭目のJRA顕彰馬に選出——現役在籍中の顕彰馬選出は当時の制度では異例のことだった。「まだ現役なのに」という声もあったが、それほどまでにタイキシャトルの功績は特別なものだったのだ。

藤沢和雄と岡部幸雄——この馬が結びつけた二人の巨人

「馬優先主義」×「馬なり調教」——二人の哲学が重なった

岡部幸雄が藤沢和雄に大樹ファームを紹介したのが、この師弟ともいうべき関係の始まりだった。岡部は若い頃から欧米の競馬に強い関心を持ち、「日本の馬で世界のGⅠを」という夢を抱き続けた。藤沢は「馬なり調教」という独自の仕上げ方を信じ、フランスの現地スタッフが「これで仕上がるのか」と疑問を呈しても初志貫徹で臨んだ。

2人の哲学が完全に合致していたからこそ、タイキシャトルは国内でも海外でも最高のパフォーマンスを発揮できた。ジャック・ル・マロワ賞の表彰台に並ぶ藤沢師と岡部の姿には、長年積み上げてきた信頼と夢の結実がにじんでいた。

短距離馬として史上初の年度代表馬——その歴史的意義

1998年、タイキシャトルは短距離・マイル路線の馬として史上初のJRA賞年度代表馬に選出された。それまでの年度代表馬はほぼ例外なく中長距離の活躍馬が占めており、「マイル以下の馬が年度代表馬になれるはずがない」という暗黙の了解があった。その壁を壊したのがタイキシャトルだった。

さらにフランス競馬の最高賞であるエルメス賞でも最優秀古馬に選ばれた——これは日本調教馬として初の快挙だ。「日本のマイラーが世界最高水準にある」ことを証明した、歴史的な1年だった。

血統が語る「Halo系×Nijinsky系——サンデーと同じ父系が世界で輝いた」

タイキシャトルの父Devil’s Bagは、サンデーサイレンスと同じHalo(父Hail to Reason×母Cosmah)を父に持つ。つまりタイキシャトルとサンデーサイレンスは「同父(Halo)産駒」の関係にある。1990年代の日本競馬でサンデーサイレンス産駒が席巻する中、同じHalo系の血を引くタイキシャトルが世界の舞台でも最高の評価を受けたことは、この系統の世界的な優秀さを改めて示すものだった。

一方母父Caerleon(父Nijinsky)は欧州の名マイラー・名種牡馬。母方からもたらされる欧州スタミナとスピードのバランスが、「1600mで最も強い」というタイキシャトルの個性を生み出した。Devil’s BagのスピードとCaerleonの欧州適性が合わさったことで、国内外を問わない圧倒的なマイル適性が完成したのだ。

タイキシャトルの近親と関係馬

  • Devil’s Bag(父)— 米国でローレルフューチュリティ等を制した名馬・Halo直仔
  • Caerleon(母父)— 1983年仏ダービー・英国際S等欧州GⅠ複数勝・Nijinsky直仔
  • サンデーサイレンス(父と同父・Halo産駒)— 1990年代の日本競馬を席巻した大種牡馬
  • ケープクロス(ジャック・ル・マロワ賞2着)— 後に種牡馬として大成功・Sea The Starsの父
  • シーキングザパール(1998年・同時期の欧州遠征馬)— モーリス・ド・ゲスト賞で1週先に欧州GⅠ初制覇

【筆者の思い出】史上最強のマイラー——現役時代を生で見られた幸せ

私は今でも、タイキシャトルが史上最強のマイラーだと信じて疑わない。

現役時の圧倒的な強さは、引退後も比較できる馬が現れていない。国内のGIを制圧し、フランスの直線1600mで欧州の強豪を半馬身退けた——その強さは、単なる「強い馬」という次元を超えていた。見ている者が「この馬には誰も勝てない」と確信できるほどの圧倒的な差があった。

最後のスプリンターズSでマイネルラヴに敗れたことについては、見た目でも分かるくらいの太め残り——調整不足は明らかだった。実力が落ちたわけではない。あの状態で出走せざるを得なかったことが残念でならない。本来の状態なら、結果は変わっていたはずだ。

そして藤沢和雄と岡部幸雄というコンビ。この二人は、まさしく近代日本競馬の飛躍の礎のような存在だったと思う。「馬なり調教」という藤沢師の哲学と、「馬優先主義」という岡部の信念——この二つが重なったとき、タイキシャトルという馬は最大限に輝いた。二人がいなければ、ジャック・ル・マロワ賞の勝利も、年度代表馬という栄冠も、なかったかもしれない。

この馬の現役時代を生で見られたことは、幸せ以外の何物でもない。競馬ファンとして、あの時代に生きていて良かったと思える馬が何頭かいる。タイキシャトルは間違いなくその一頭だ。

タイキシャトル この馬を一言で言うなら

  • 国内GⅠ4勝+欧州ジャック・ル・マロワ賞——「日本最強マイラー」の称号を内外で証明した
  • 短距離馬として史上初のJRA年度代表馬・仏エルメス賞最優秀古馬——歴史の壁を2つ同時に破った
  • 藤沢和雄の4年越しの悲願・岡部幸雄の「世界で勝つ」という夢——二人の哲学が結実した瞬間
  • 安田記念の道悪圧勝が遠征を後押し、直前の蹄鉄アクシデントも乗り越えた不屈の強さ
  • Devil’s Bag(Halo系)×Caerleon(Nijinsky系)——父はサンデーサイレンスと同じ父系・欧州に最も適した配合が偶然生まれた
  • 28歳の大往生(2022年8月17日)——1990年代の日本競馬の「世界への扉」を開いた馬として記憶され続ける