「体質の弱さ」——体温との戦いで始まった競走生活

フサイチコンコルド 基本情報
生年月日1993年2月11日
性別
毛色鹿毛
産地北海道早来町
生産社台ファーム
Caerleon(カーリアン)
バレークイーン
母の父Sadler’s Wells
馬主関口房朗
調教師小林稔(栗東)
主戦騎手藤田伸二
通算成績5戦3勝
主な勝ち鞍日本ダービー(GⅠ)
すみれS(OP)
異名和製ラムタラ
死亡2014年9月8日(21歳)

1993年2月11日、北海道早来町の社台ファームで一頭の牡馬が生まれた。父は仏ダービー馬カーリアン(Caerleon)、母は英オークス馬サンプリンセスを祖母に持つバレークイーン——欧州の超一流血統を凝縮した良血馬だった。しかしその競走生活は、華々しい血統とは裏腹に、苦難の連続から始まる。

デビューに向けて栗東へ輸送される途中、肺炎を発症して40度を超える高熱を出した。さらに「逆体温」(朝より日中の体温が低い)という特異な体質が判明。ノーザンファームでは牧場スタッフが早朝4時半からの調教を実施し、馬が驚く石の上を歩かせる特別メニューをこなし、ウッドチップコースを新設するなど、一頭のために異例の設備投資を行うほど、この馬への期待は大きかった。

新馬→すみれS——2戦2勝、しかし次が走れない

1996年1月5日、京都競馬場の芝1800メートル新馬戦でデビュー。好位から抜け出し、難なく勝利を収めた。続く3月のすみれステークス(芝2200メートル)も快勝し、2戦2勝。本来なら次は青葉賞かプリンシパルSでダービーの権利を取る計画だったが、ここで再び体質の弱さが顔を出す。

東京への輸送中に発熱。プリンシパルSを回避せざるを得なくなり、賞金面でのダービー出走も微妙な状況に陥った。それでも調教師の小林稔は、深夜輸送という秘策を講じてダービー参戦にこぎ着ける。輸送中にまたも発熱したが、到着した日の夕方には平熱に戻っていた。

競走成績(全5戦)
レース着順備考
1996年新馬戦(京都・芝1800)1着好位から抜け出し快勝
1996年すみれSOP1着2戦2勝でダービーへ
1996年日本ダービーGⅠ1着7番人気・キャリア3戦目・戦後最少
1996年カシオペアSOP2着1番人気で完敗
1996年菊花賞GⅠ3着ダンスインザダークの鬼脚に屈す

1996年 日本ダービー——「音速の末脚炸裂」

当日のダービーでフサイチコンコルドは7番人気の低評価。1番人気はプリンシパルSを制したダンスインザダーク、2番人気はロイヤルタッチ。2戦2勝とはいえ、地味な前哨戦歴とすみれSから中84日という異例の間隔が敬遠された。単勝オッズは2760円だった。

「コンコルドだ!外から音速の末脚が炸裂する!!」

レースは1番人気のダンスインザダークが前半から好位を進め、直線で先頭へ。「勝負あった」と誰もが思ったその瞬間、13番枠のフサイチコンコルドが外から急追した。残り100メートルで並びかけると、あとは一気に引き離してゴールへ飛び込んだ。着差はクビ。

実況を担当したフジテレビの三宅正治アナウンサーが「コンコルドだ!コンコルドだ!外から音速の末脚が炸裂する!!」と絶叫した。ちなみに馬名の「コンコルド」は超音速旅客機ではなくパリのコンコルド広場(凱旋門賞制覇を夢見て命名)に由来するが、この実況によって「音速」のイメージが定着した。

キャリア3戦目、戦後の日本ダービー史上最少キャリアでの制覇。同年に英ダービーをわずか2戦で制したラムタラになぞらえ、「和製ラムタラ」の異名が贈られた。

秋の挫折——菊花賞3着で現役終了

ダービー制覇後、秋は菊花賞を目指した。前哨戦の調整が間に合わず京都新聞杯を回避し、1週遅れのカシオペアステークスへ出走。1.3倍の圧倒的1番人気に支持されたが、逃げたメジロスズマルを捕まえられず2着に完敗した。

菊花賞では2番人気に推されたが、最後の直線で先頭に立ちかけたところへダンスインザダークの鬼脚が炸裂。ロイヤルタッチにも差されての3着——春の借りを返されてしまった。翌1997年も現役を続ける予定だったが、脚部不安が続いて一度もレースに出られないまま秋に引退を表明した。5戦という短い競走生活だった。

血統が語る「Northern Dancer 3×3という濃い配合」

フサイチコンコルドの血統の最大の特徴は、父カーリアン(父ニジンスキー)と母バレークイーン(父サドラーズウェルズ)、双方の父がノーザンダンサーの直仔という、3×3のインブリードだ。ニジンスキーは英三冠馬、サドラーズウェルズは20世紀末の欧州最高種牡馬——両者はノーザンダンサーの代表的な後継種牡馬であり、その血を濃縮したフサイチコンコルドは「欧州最高血統の集大成」とも言える配合だった。

この血の濃さが体質の弱さとして表れた一方で、ダービーでの末脚の破壊力としても表れた。祖母サンプリンセスは英オークス・英セントレジャーを制した名牝で、孫にはリンカーン(日経賞・阪神大賞典)も輩出している。また、半弟にはアンライバルド(2009年皐月賞)、ボーンキング(京成杯)がいる。

種牡馬フサイチコンコルド 主な産駒

  • ブルーコンコルド — JBCスプリント・マイルCS南部杯3連覇など地方・交流GI7勝
  • バランスオブゲーム — 弥生賞・毎日王冠・中山記念など重賞7勝
  • オースミハルカ — エリザベス女王杯2年連続2着・チューリップ賞など重賞4勝

【筆者の思い出】ダービーでねじ伏せた末脚、そして期待のまま終わった競走生活

フサイチコンコルドの思い出は、やはりあのダービーの末脚に尽きる。

直線でダンスインザダークが先頭に立ち、その末脚は間違いなく伸びていた。「もうこれは勝った」という雰囲気が漂い始めたその瞬間、外からフサイチコンコルドが飛んできた。あれはダンスインザダークを「かわした」のではない——「ねじ伏せた」という表現の方がしっくりくる。伸びている馬をさらに上回る脚で強引に封じ込めてしまった、あの末脚の凄みは今でも目に焼き付いている。

そして勝った直後、「今後いったいどこまで強くなるんだろう」という期待感がものすごく高まったことを覚えている。あの瞬間の末脚だけを見れば、この馬は本物の怪物だと思った。

だからこそ、その後がほとんど走れないまま終わってしまったのは本当に悲しかった。カシオペアSの完敗、菊花賞の3着、そして1997年は一度もレースに出られないまま引退——あの末脚のままもっと走り続けてほしかった。「もしあの体質の弱さがなかったら」という思いは、今でも消えない。

ダンスインザダークとフサイチコンコルド、二頭は互いに勝ったり負けたりしながら、競馬の面白さと残酷さを同時に体現してくれた。それが1996年の夏から秋にかけての、忘れられない記憶だ。

フサイチコンコルド この馬を一言で言うなら

  • キャリア3戦・7番人気でダービー制覇——戦後の日本競馬史上最少キャリアの偉業
  • 「コンコルドだ!音速の末脚炸裂!」——三宅正治アナの実況とともに記憶に刻まれた
  • 英ダービー馬ラムタラ(2戦)になぞらえた「和製ラムタラ」の異名
  • 父カーリアン×母父サドラーズウェルズ、Northern Dancer 3×3という欧州超良血
  • 体質の弱さに終始悩まされ、5戦という短すぎる競走生活に幕を閉じた
  • 産駒ブルーコンコルドが地方・交流GIを7勝する名種牡馬に