無類の長距離上手。日本屈指の良血馬。成績自体は特筆すべき点はあまりないものの、その存在感は確かなものでした。
エアダブリン
ナリタブライアンの影に咲いた名脇役
掲示板を一度も外さなかった堅実な栗東の長距離王——ダンシングキイの名牝系が生んだ、もう一頭の傑作
「ナリタブライアンの2着」という肩書きを背負い続けた馬がいた。 日本ダービー5馬身差の2着、菊花賞8馬身差の3着——数字だけ見れば完敗だが、 その相手はあの三冠馬だ。エアダブリンは15戦を通じて一度も掲示板を外さず、 長距離レコードを叩き出し、名牝系の礎を築いた。 GIこそ届かなかったが、この馬の存在なくして90年代の名馬列伝は語れない。
栗東・伊藤雄二厩舎
ナリタブライアンと同じ時代に生まれた宿命
| 生年月日 | 1991年4月21日 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 産地 | 北海道千歳市 |
| 父 | トニービン |
| 母 | ダンシングキイ |
| 生産 | 社台ファーム |
| 馬主 | (有)社台レースホース |
| 調教師 | 伊藤雄二(栗東) |
| 通算成績 | 15戦5勝 |
| 主な勝ち鞍 | 青葉賞(GⅢ) ステイヤーズS(GⅢ) ダイヤモンドS(GⅢ) |
| 死亡 | 2016年7月30日 |
1991年生まれの世代は、後世「ナリタブライアンの世代」と呼ばれる。皐月賞・ダービー・菊花賞を無敗で制した史上5頭目の三冠馬の存在があまりにも大きすぎて、同世代の他の馬たちはどうしてもその影に隠れてしまう。
エアダブリンもまた、その一頭だった。ダービーでは5馬身差の2着、菊花賞では約8馬身差の3着。数字だけ見ると惨敗に映るが、相手はあの三冠馬だ。それ以外の馬には一度も先着を許さなかったことを考えれば、エアダブリンがいかに世代屈指の実力馬だったかがわかる。
デビューは1993年10月9日、東京の芝1600メートル新馬戦。単勝1.1倍という圧倒的一番人気に推されたが、5着と大敗した。しかし2戦目の未勝利戦で勝ち上がると、エリカ賞(500万下)も制して3戦2勝でシーズンを終える。期待と不安が交錯したデビューだったが、この馬の真価が発揮されるのはもう少し先の話だった。
青葉賞制覇とダービー2着——「ステイヤー」の覚醒
4歳(現表記3歳)となった1994年、皐月賞トライアルの若葉ステークスでオフサイドトラップの4着に敗れ、皐月賞への出走権を逃した。しかしダービートライアルの青葉賞では重賞初制覇を飾り、日本ダービーへの切符をつかんだ。
そして迎えた1994年の日本ダービー。勝ったのはナリタブライアンで、エアダブリンは5馬身差の2着。この結果を受け、調教師の伊藤雄二はひとつの確信を得た。
その言葉通り、エアダブリンは距離が延びるほど輝きを増した。菊花賞(3000メートル)ではナリタブライアンの三冠を阻止できなかったものの、3着という結果は「この世代でナリタブライアンに最も肉薄できる馬の一頭」であることを証明していた。
ステイヤーズS日本レコード——長距離の申し子
菊花賞後、陣営は有馬記念への出走を見送り、ステイヤーズステークス(3600メートル)を選んだ。この選択が、エアダブリンという馬の本質を世に知らしめることになる。
レースでは後方から豪快に差し切り、勝ちタイムは3分41秒6の日本レコード。3600メートルという長丁場で叩き出した記録は、この馬がいかに「長距離の申し子」であるかを証明した。
翌1995年、ダイヤモンドステークス(3400メートル)を59キロの斤量をものともせず快勝。そして天皇賞(春)では、前年の三冠馬ナリタブライアンが故障で不在となった中、満を持して1番人気に推された。
| 年 | レース | 格 | 着順 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1994年 | 青葉賞 | GⅢ | 1着 | 重賞初制覇 |
| 1994年 | 日本ダービー | GⅠ | 2着 | ナリタブライアンに5馬身差 |
| 1994年 | 菊花賞 | GⅠ | 3着 | ナリタブライアンに約8馬身差 |
| 1994年 | ステイヤーズS | GⅢ | 1着 | 3分41秒6 日本レコード |
| 1995年 | ダイヤモンドS | GⅢ | 1着 | 59kg斤量をものともせず |
| 1995年 | 天皇賞(春) | GⅠ | 5着 | 1番人気・ライスシャワーに屈す |
| 1995年 | 宝塚記念 | GⅠ | 3着 | 6番人気から好走 |
天皇賞(春)の5着と、最後の輝き
しかし天皇賞(春)は、ライスシャワーに0秒5差の5着。長距離の実績を買われた1番人気に応えることはできなかった。続く宝塚記念では、主戦の岡部幸雄がタイキブリザードに乗るため四位洋文への乗り替わりとなり6番人気まで人気を落としたが、レコードタイムで優勝したダンツシアトルから0.1秒差の3着と意地を見せた。
宝塚記念後、屈腱炎が発症し約2年の休養を余儀なくされた。1997年春に復帰し、メトロポリタンステークス2着、目黒記念3着と完全復活を思わせたが、宝塚記念出走を前に再び屈腱炎を発症し引退。15戦を通じて一度も掲示板(5着以内)を外さなかったという驚異の堅実さは、この馬の能力の高さと、伊藤雄二調教師の丁寧な管理を物語っている。
血統が語る「欧州型長距離の粋」
エアダブリンの血統を見ると、その長距離適性は必然だったと感じる。父・トニービンはアイルランド生まれのイタリア調教馬で、1988年の凱旋門賞を制した欧州の名馬だ。父系はカンパラ→カラムーン(仏2000ギニー)→ゼダーンと続く欧州系で、スピードより持続力を重視する血統の系譜に連なる。日本ではジャングルポケット(ジャパンカップ)などを輩出した名種牡馬として広く知られた。
母・ダンシングキイは英三冠馬ニジンスキーを父に持つ米国産牝馬で、その母Key Partnerの父Key to the Mintも米国の芝中長距離で活躍した良血馬だ。ニジンスキーはノーザンダンサーの直仔であり、欧州の古典的な長距離血統の系譜を母系に注入していた。
父系の欧州型スタミナと、母系のノーザンダンサー系のスピード持続力が融合したエアダブリンは、まさに「日本の長距離戦線に最適化された血統」の産物だった。ステイヤーズSの日本レコードは、その血統の必然的な帰結と言えるだろう。
名牝系の礎——エアダブリンが残した遺産
エアダブリン自身がGIを勝つことは叶わなかったが、彼が生まれた「ダンシングキイの仔」たちは日本競馬史に燦然と名を刻んだ。
ダンシングキイの名牝系 主な産駒
- エアダブリン(1991、父トニービン)— 日本ダービー2着・菊花賞3着・ステイヤーズS日本レコード
- ダンスパートナー(1992、父サンデーサイレンス)— オークス・エリザベス女王杯制覇
- ダンスインザダーク(1993、父サンデーサイレンス)— 菊花賞制覇・後に名種牡馬
- ダンスインザムード(2001、父サンデーサイレンス)— 桜花賞制覇
一頭の繁殖牝馬が、GI馬を3頭輩出するというのは異例の出来事だ。エアダブリンを含め、この一族が90年代以降の日本競馬に与えた影響は計り知れない。エアダブリンは兄として、その名牝系の扉を最初に開いた存在でもあった。
種牡馬としては、血統面への期待から初年度の種付け頭数が当時のサンデーサイレンスを超える日本記録を樹立したが、産駒は重賞を勝てず2003年に韓国へ輸出された。2016年7月30日、韓国・済州島のヌルブン牧場で25歳の生涯を閉じた。
エアダブリン この馬を一言で言うなら
- ナリタブライアンと同世代という「宿命」を背負い続けた名脇役
- 15戦すべてで掲示板内という鉄壁の堅実さ
- ステイヤーズS3分41秒6の日本レコードが最大の勲章
- 父トニービン×母父ニジンスキーという欧州型長距離血統の結晶
- ダンスパートナー・ダンスインザダークの兄として、名牝系の礎を築いた


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