電撃のスピードを武器に、短距離戦線で鮮烈な存在感を放った快速馬。
GⅠタイトルにはあと一歩届かなかったものの、その逃げ脚と粘り強さは多くのファンの記憶に残るものだった。
今回は、スプリント路線を駆け抜けた名脇役・エイシンワシントンの魅力を振り返ります。
エイシンワシントン
わずか1cm、悲運のスプリント王
セクレタリアトの永遠のライバル・シャムの血を引き、フラワーパークとの伝説的デッドヒートを演じた気の小さな快速馬
長い長い写真判定の末、ハナ差――いや、わずか1cm差。 1996年スプリンターズステークス、エイシンワシントンとフラワーパークの叩き合いは、 スプリント史に残る大激戦として今も語り継がれている。 血統をたどれば、あの「セクレタリアトの永遠のライバル」シャムの孫という血脈。 GIには一歩届かなかったが、その不屈の優秀さは色褪せることがない。
栗東・内藤繁春厩舎
「セクレタリアトの永遠のライバル」シャムの血
| 生年月日 | 1991年5月5日 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 産地 | 米国 |
| 父 | オジジアン |
| 母 | シャマリタン |
| 母の父 | シャム |
| 馬主 | 平井 豊光 |
| 調教師 | 内藤繁春(栗東) |
| 主戦騎手 | 熊沢重文 他 |
| 通算成績 | 25戦8勝 |
| 主な勝ち鞍 | CBC賞(GⅡ) セントウルS(GⅢ) 2着:スプリンターズS(GⅠ) |
| 死亡 | 2014年7月8日(23歳) |
エイシンワシントンの血統を語るうえで欠かせないのが、母の父シャムの存在だ。シャムは1973年のケンタッキーダービー・プリークネスステークスで、あの三冠馬セクレタリアトに次ぐ2着を続けた名馬である。ケンタッキーダービーでは、スタートゲートで前歯を2本折るアクシデントを抱えながら、セクレタリアトに次ぐ史上2位の好時計で走り切った。解剖の結果、シャムの心臓は通常の馬の倍近い大きさだったことが分かっている。
そしてもう一つ重要な血脈が、父オジジアンだ。父ダマスカスは1967年の「世紀のレース」ウッドワードステークスでバックパサー、ドクターフェイガーという当代最強クラスの2頭を撃破した名馬。オジジアン自身も米国でジェロームハンディキャップ、ドワイヤーステークスなどGⅠ3勝を含む10戦7勝という戦績を残し、引退後、自身の競走能力を買われてエイシンワシントンの活躍を機に日本へ輸入された種牡馬だった。
新馬戦レコード勝ちからクラシック挑戦へ
1993年11月28日、中京競馬場の芝1200メートル新馬戦でデビュー。持ち前のスピードでレコード勝ちを飾ると、続く朝日杯3歳ステークスでは2番人気に推された。しかしこのレースは、後の三冠馬ナリタブライアンの遥か後方6着という結果に終わる。
クラシック路線では、アーリントンカップで2着に入る好走を見せたが、骨折のため春のクラシックへの参戦は叶わなかった。それでも、その後のセントウルステークス(1着)、スワンステークス(3着)と、確かなスプリント適性を発揮していく。
1996年スプリンターズS——わずか1cm差の激闘
1996年12月、エイシンワシントンは3番人気でスプリンターズステークスに出走した。レースは抜群のスタートを切ったエイシンワシントンが好位を進める展開。直線に向くと、後方からフラワーパークが強襲してきた。この2頭以外、後ろから追い上げてくる馬影はもうなかった。
ゴール直前、フラワーパークが並びかけ、2頭は同時にゴールへ飛び込んだ。長い長い写真判定の末――フラワーパークがわずか1cm差で差し切っていた。
この大激戦は後にCMにもなり、長く競馬ファンの記憶に刻まれることとなった。もしこのスプリンターズSを制していれば、エイシンワシントンの評価はまったく違うものになっていたかもしれない。
| 年 | レース | 格 | 着順 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1993年 | 新馬戦 | 1着 | レコード勝ち | |
| 1993年 | 朝日杯3歳S | GⅠ | 6着 | ナリタブライアンに大差 |
| 1994年 | セントウルS | GⅢ | 1着 | |
| 1996年 | CBC賞 | GⅡ | 1着 | |
| 1996年 | スプリンターズS | GⅠ | 2着 | フラワーパークに1cm差 |
安楽死も検討された重度骨折、そして種牡馬入り
スプリンターズSでの惜敗を最後に、エイシンワシントンの競走生活は終わりを迎える。次走へ向けた調教中、重度の骨折を発症してしまったのだ。安楽死も検討されるほどの深刻な状態だったが、陣営の必死の治療によって一命を取り留め、1年以上の長期治療を経て種牡馬入りを果たした。
種牡馬としては1998年から供用されたが、代表産駒はエイシンヘーベ(2001年生、母の父サンデーサイレンス)がオープン特別の福島民友カップを制した程度にとどまった。2009年に種牡馬を引退している。
なお、父オジジアンは日本で多くの活躍馬を輩出した名種牡馬で、エイシンワシントンの活躍によってその名が広く知られるようになった。同じオジジアン産駒には、外国産馬のバトルライン(プロキオンS等重賞4勝)や持込馬のタイキダイヤ(クリスタルC)もいるが、これらはエイシンワシントンの「半弟」にあたる馬であり、エイシンワシントン自身の産駒ではない。エイシンワシントンの血を引く有力な後継種牡馬は生まれず、サイアーラインとしては途絶えているが、エイシンヘーベの母系を通じてその血はわずかに次世代へとつながっている。
血統が語る「ステイヤー系から生まれたスプリンター」
興味深いのは、エイシンワシントンの父系・母系がいずれも本来「中長距離」を得意とする血統でありながら、本馬自身は1200メートルのスプリント戦線で輝いたという点だ。父ダマスカスはベルモントステークス(2400メートル)の勝ち馬であり、母の父シャムもケンタッキーダービー(2000メートル)で名を残した。
陣営も当初はオジジアンの血統からクラシックディスタンスへの適性を期待していたとされるが、エイシンワシントン自身はむしろ瞬発力に優れたタイプとして開花した。これは血統表の中でも、機動力に優れた牝系の特徴が強く出た結果と見ることができるだろう。
23年の生涯——功労馬として愛された晩年
種牡馬引退後、エイシンワシントンは2009年10月19日、鹿児島県のホーストラストへ移動した。担当者の大野恭明さんによれば、初めて対面した際の第一印象は「筋肉がムキムキでした」というもの。臆病で気が小さい性格は最後まで変わらなかったという。
ホーストラストでの功労馬としての預託料の不足分を補うためにスポンサーを募集した際、エイシンワシントンはすぐに満口になったという。これは、この馬がいかに多くのファンに愛されていたかを物語るエピソードだ。
2014年7月8日、骨折により予後不良の診断を受け、安楽死の措置がとられた。享年23歳。なお、ホーストラストには娘のヤマシロ、その子リッカトレジャーも暮らしていたといい、父・娘・孫の三代がともに同じ場所で余生を送っていたという、血の不思議を感じさせる巡り合わせもあった。
血統的背景――名馬たちとのつながり
- 母父シャム — 1973年ケンタッキーダービー・プリークネスSで三冠馬セクレタリアトの2着
- 父父ダマスカス — 1967年ウッドワードSでバックパサー・ドクターフェイガーを撃破
- 父オジジアン — 米GⅠ3勝。日本ではエイシンワシントンの他、バトルライン・タイキダイヤなども輩出した名種牡馬
- 1996年スプリンターズS — フラワーパークとの1cm差の死闘は、CMにもなった伝説の名勝負
【筆者の思い出】「邪魔な馬」だったエイシンワシントン
1996年のスプリンターズステークス。私にとってもこのレースは強く印象に残っている。当時、田原成貴騎手のファンだった私は、彼が乗るフラワーパークを応援していた。
レースを見ていた立場からすると、正直なところエイシンワシントンは「前にいる邪魔な馬」という印象だった。フラワーパークが直線で必死に追い上げてくるその先に、ずっと先頭で粘り続けるエイシンワシントンの姿があったからだ。応援している側からすれば、なんとも厄介な存在だった。
そしてあの長い写真判定。ゴール直後はどちらが勝ったのか分からず、しばらく結果が出ないまま時間だけが流れていく。あの独特の緊張感は、今でもはっきりと覚えている。最終的にフラワーパークがわずか1cm差で差し切ったと分かった時の安堵感も含めて、強く記憶に刻まれているレースだ。
応援していた馬が勝ったから印象深いというだけでなく、あれだけ食らいついて最後まで離れなかったエイシンワシントンの粘り強さも、今振り返れば見事だったと思う。「邪魔な馬」だったあの存在感こそが、この馬の強さの証明だったのだろう。
エイシンワシントン この馬を一言で言うなら
- 「セクレタリアトの永遠のライバル」シャムの孫という血脈
- 1996年スプリンターズS、フラワーパークとのわずか1cm差の死闘
- GⅠのタイトルには一歩届かなかったが、その堅実さと優秀さは今も語られる
- 重度骨折を乗り越えて種牡馬入りした生命力の強さ
- 功労馬として愛され続けた、ファンの多い23年の生涯


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