サンデー四天王——6月の遅生まれが辿り着いた頂

ダンスインザダーク 基本情報
生年月日1993年6月5日
性別
毛色鹿毛
産地北海道千歳市
生産社台ファーム
サンデーサイレンス
ダンシングキイ
母の父ニジンスキー
馬主(有)社台レースホース
調教師橋口弘次郎(栗東)
主戦騎手武豊
通算成績8戦5勝
主な勝ち鞍菊花賞(GⅠ)
弥生賞(GⅡ)
京都新聞杯(GⅡ)
表彰1996年JRA賞最優秀4歳牡馬
死亡2020年1月2日(26歳)

1993年6月5日——サラブレッドとしてはかなりの遅生まれに当たるこの日、北海道千歳市の社台ファームに一頭の牡馬が生まれた。父は日本競馬を席巻し始めていたサンデーサイレンス、母は前年にダンスパートナーを送り出した名繁殖牝馬ダンシングキイだ。

同世代のサンデーサイレンス産駒は「四天王」と称されるほど粒揃いで、バブルガムフェロー、イシノサンデー、ロイヤルタッチとともに世代の主役を争った。6月という遅生まれのハンデを背負いながらも、ダンスインザダークは着実に力をつけ、弥生賞で重賞初制覇。皐月賞最有力候補と目された。

皐月賞回避——ダービー2着という春の挫折

しかし、この馬の競走生活は順風満帆とはいかなかった。皐月賞前に突然の熱発を発症し、無念の出走回避。プリンシパルステークスで立て直して臨んだ日本ダービーでは、1番人気を背負いながら、7番人気の伏兵フサイチコンコルドにわずかに差されて2着に敗れた。

武豊にとっても、橋口弘次郎調教師にとっても、「どうしても欲しいタイトル」だったダービーがまた手の届かないところに消えた。春シーズンは無冠——この悔しさを胸に、秋の菊花賞へと向かうことになる。

競走成績(全8戦)
レース着順備考
1995年新馬戦(阪神・芝1600m)1着内にササりながら差し切り
1995年ラジオたんぱ杯3歳SGⅢ3着ロイヤルタッチの3着
1996年きさらぎ賞GⅢ2着クビ差まで詰めながら2着
1996年弥生賞GⅡ1着重賞初制覇
1996年プリンシパルSOP1着皐月賞回避後の前哨戦・持ったままで圧勝
1996年日本ダービーGⅠ2着1番人気・フサイチコンコルドに敗れる
1996年京都新聞杯GⅡ1着秋初戦・スローを折り合い完勝
1996年菊花賞GⅠ1着後方12番手→上がり33.8・翌日屈腱炎

1996年菊花賞——絶体絶命からの33秒8

1996年11月3日、京都芝3000メートルの菊花賞。ダンスインザダークは1番人気に支持された。しかしレースは苦難の連続だった。

絶体絶命——後方12番手、最内で壁

2周目の3〜4コーナーで、失速してきた先行馬が次々と下がってきた。外に出したくても出せない。ダンスインザダークは最内に閉じ込められ、気がつけば後方12番手。しかも直線入口では前に馬の壁。「これは駄目だ、掲示板もないかと思いました」と後に橋口調教師は述懐する。

しかし武豊は諦めなかった。馬群を避けて徐々に外へ外へと持ち出すと、最後の直線で鬼脚が炸裂した。上がり3ハロン推定33秒8——3000メートルの長距離戦でこのタイムは破格の数字だった。先頭を行くロイヤルタッチを一気に交わし、1着でゴール。橋口は「武騎手でなければ勝てていません。別の騎手なら3着だったでしょうね」と直線での神騎乗を讃えた。

「武騎手でなければ勝てていません。別の騎手なら3着だったでしょうね」 — 橋口弘次郎調教師、菊花賞後のコメント

しかし、その翌日——菊花賞の代償は残酷だった。屈腱炎の発症が判明し、翌年の海外遠征計画も含め、全ての夢が断たれた。8戦しか走れなかった競走生活だったが、「菊花賞と言えばダンスインザダーク」と今も多くのファンが口にする。その一瞬に全てが凝縮されていた。

ダンシングキイ——超良血の全弟

ダンスインザダークの血統を語る上で欠かせないのが、母ダンシングキイの存在だ。ダンスパートナーの記事でも触れた通り、ダンシングキイは1990年代を代表する名繁殖牝馬。その産駒にはエアダブリン(日本ダービー2着・ステイヤーズS日本レコード)、ダンスパートナー(オークス・エリザベス女王杯)、そしてダンスインザダーク(菊花賞)と、三頭連続でGI級の活躍馬を輩出している。さらに後にはダンスインザムード(桜花賞・ヴィクトリアマイル)まで続く、まさに「名牝系」の体現者だった。

母父ニジンスキーの英三冠血統が伝えるスタミナ、母母Key Partnerの父Key to the Mint系が伝える底力、そしてサンデーサイレンスの瞬発力が融合した配合は、菊花賞での末脚という形でその真価を発揮した。

母・ダンシングキイの名牝系(この記事の登場人物)

  • エアダブリン(1991、父トニービン)— 日本ダービー2着・ステイヤーズS日本レコード
  • ダンスパートナー(1992、父サンデーサイレンス)— オークス・エリザベス女王杯制覇
  • ダンスインザダーク(1993、父サンデーサイレンス)— 菊花賞制覇
  • ダンスインザムード(2001、父サンデーサイレンス)— 桜花賞・ヴィクトリアマイル制覇

種牡馬として——菊花賞父仔制覇の系譜

引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。種牡馬としての最大のハイライトは、菊花賞での父仔制覇だ。ザッツザプレンティ(2003年菊花賞)、デルタブルース(2004年菊花賞)、スリーロールス(2009年菊花賞)と、3頭の菊花賞馬を輩出。さらにツルマルボーイが2004年の安田記念を制し、GI級競走優勝馬は計4頭に及んだ。

産駒の特徴は「豊富なパワーと持続力」で、重い馬場や超ハイペースの消耗戦に強いステイヤー型が多い。これはニジンスキー系の欧州スタミナ血統が色濃く出た結果だろう。有力な後継種牡馬には恵まれなかったが、母父(BMS)として現在も多くの重賞馬を出し続けており、サイアーラインとは異なる形でその血は現代競馬に生き続けている。2020年1月2日、26歳で天に召された。

【筆者の思い出】「勝った」と思った瞬間に飛んできた馬——ダービーと菊花賞の記憶

ダンスインザダークの思い出は二つある。ダービーと、菊花賞だ。

ダービーは、衝撃という意味ではむしろこちらの方が強烈だったかもしれない。直線半ば、武豊が追い出したダンスインザダークが先頭に立つ。「勝った」と思った——その瞬間だった。外から、まるで突然現れたかのように一頭の馬が飛んできた。フサイチコンコルド。キャリアわずか3戦目、しかも7番人気という低評価の馬が、あの瞬間に日本ダービーを勝ってしまった。

唖然とした。「今、何が起きたのか」という不思議な感覚が、しばらく頭を離れなかった。ダービーとはそういうレースなのかもしれない——と、妙に哲学的な気持ちになったことを覚えている。

だからこそ、菊花賞の末脚は忘れられない。後方に追いやられ、最内に閉じ込められ、どこからどう見ても詰んでいるような状況から、あの脚が炸裂した。3000メートルの長距離戦で上がり33秒台などというのは、あの時代の感覚からすれば非常識なタイムだ。今でも思う——あれは競馬史上屈指の末脚だったと。

ダービーの唖然と、菊花賞の感動。どちらもダンスインザダークという馬が中心にいた。それだけ、この馬は見る者の感情を大きく揺さぶる何かを持っていた。

ダンスインザダーク この馬を一言で言うなら

  • 後方12番手・最内で壁という絶体絶命から上がり33秒8——「菊花賞と言えばダンスインザダーク」
  • 6月の遅生まれのハンデを乗り越え、皐月賞回避・ダービー2着の悔しさを菊花賞で晴らした
  • 「武豊でなければ3着だった」と調教師が讃えた歴史的な神騎乗
  • 翌日の屈腱炎による引退——8戦という短い競走生活に全てが凝縮された
  • ダンスパートナーの全弟・母ダンシングキイが誇る名牝系の一角
  • 産駒からザッツザプレンティ・デルタブルース・スリーロールスと菊花賞3勝の父