良血馬として大きな期待を背負い、クラシック戦線で確かな存在感を示したサンデーサイレンス産駒。
重賞を制し、皐月賞・菊花賞でも上位に食い込んだその走りは、世代屈指の素質を感じさせた。
頂点にはあと一歩届かなかったものの、名門の血にふさわしい品格と、堅実な実力を備えた一頭。
ロイヤルタッチ
サンデー四天王の「あと一歩」、届かなかったクラシックの頂
皐月賞2着・菊花賞2着——ウイニングチケットの半弟が、スターロツチの血を受けて挑んだ頂上決戦
ラジオたんぱ杯3歳Sでダンスインザダーク・イシノサンデーを降し、 きさらぎ賞でも重賞連勝——「サンデー四天王」随一の安定感で クラシックの最有力候補と目されたロイヤルタッチ。 しかし皐月賞は2着、菊花賞も2着。 3つのクラシックを一度も勝てないまま競走生活を終えた。 ウイニングチケットの半弟として、その名牝系の血を継いだこの馬の物語は、 「届かなかった指先」というある種の悲しさを帯びている。
栗東・伊藤雄二厩舎
「スターロツチ」の血脈——ウイニングチケットの半弟
| 生年月日 | 1993年3月24日 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 黒鹿毛 |
| 産地 | 北海道静内町 |
| 生産 | 藤原牧場 |
| 父 | サンデーサイレンス |
| 母 | パワフルレデイ |
| 母の父 | マルゼンスキー |
| 馬主 | 太田美實 |
| 調教師 | 伊藤雄二(栗東) |
| 主戦騎手 | O.ペリエ(2〜3戦目) 蛯名正義・南井克巳・岡部幸雄 |
| 通算成績 | 15戦3勝 |
| 主な勝ち鞍 | ラジオたんぱ杯3歳S(GⅢ) きさらぎ賞(GⅢ) |
| 表彰 | 1995年JRA賞最優秀2歳牡馬(次点) |
| 死亡 | 2019年2月2日(26歳) |
ロイヤルタッチの血統は、重層的な「名牝系の宿命」を帯びている。3代母スターロツチは、1958年の優駿牝馬と有馬記念を制した伝説の名牝。その牝系からはサクラユタカオー(天皇賞秋)、サクラスターオー(皐月賞・菊花賞)、マチカネタンホイザ(高松宮杯GII)など多数の活躍馬が出ており、日本競馬史上屈指の「大名牝系」として知られている。
そのスターロツチの曾孫にあたる母パワフルレデイからは、父トニービンとの間に1993年日本ダービー馬ウイニングチケットが生まれた。ロイヤルタッチはそのウイニングチケットの半弟(母が同じ・父はサンデーサイレンス)として生まれた馬だ。兄はダービー馬——この「ブランド」はロイヤルタッチへの期待をひときわ高めるとともに、同時に「兄を超えられるか」という重圧にもなった。
調教師はエアグルーヴと同じ栗東・伊藤雄二。そして半兄ウイニングチケット(1993年ダービー馬)も同じ伊藤厩舎だった。つまり伊藤雄二調教師は、スターロツチ牝系の兄弟2頭と、年度代表馬エアグルーヴを手がけるという、1990年代の栗東を代表する名伯楽だったことが改めて分かる。
ラジオたんぱ杯——ペリエが降した「四天王」たち
1995年12月3日、1番人気・武豊でデビューを飾ったロイヤルタッチは、次走から鞍上にオリビエ・ペリエを迎えた。ペリエは当時来日中の短期免許騎手だった。このラジオたんぱ杯3歳ステークスで、ロイヤルタッチはイシノサンデー(1番人気)、ダンスインザダーク(2番人気)を抑えて優勝——このレースでサンデーサイレンス産駒が上位3頭を独占したことで、「翌年のクラシックはサンデーサイレンス一色になる」という予感が競馬界を支配した。
明けて1996年のきさらぎ賞でも、ペリエ騎乗のままダンスインザダークとの一騎打ちを制して重賞連勝。無敗のクラシック候補として、皐月賞への道が開けているかに思われた。
皐月賞2着——主戦なき戦い
ところが、皐月賞から苦難が始まる。短期免許が切れてペリエが帰国したため若葉ステークスから蛯名正義に乗り替わったが、2馬身半差の2着と初黒星。皐月賞本番では、その蛯名が騎乗停止中のため今度は南井克巳に乗り替わりとなった。
皐月賞当日、ダンスインザダークが熱発回避、バブルガムフェローが骨折回避という不運が重なり、押し出されるようにして1番人気に推されたロイヤルタッチ。しかし結果はイシノサンデーを捕まえられず2着——「主戦不在」という状況で挑んだG1の最高舞台で、またも届かなかった。
| 年 | レース | 格 | 着順 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1995年 | 新馬戦(阪神・芝1600) | 1着 | 武豊・1番人気 | |
| 1995年 | ラジオたんぱ杯3歳S | GⅢ | 1着 | ペリエ・イシノサンデー/ダンスインザダーク降す |
| 1996年 | きさらぎ賞 | GⅢ | 1着 | ペリエ・ダンスインザダーク降す・重賞連勝 |
| 1996年 | 若葉S | OP | 2着 | 蛯名・ペリエ帰国・初黒星 |
| 1996年 | 皐月賞 | GⅠ | 2着 | 南井・蛯名騎乗停止のため代役・イシノサンデーに敗れる |
| 1996年 | 日本ダービー | GⅠ | 4着 | 南井・フサイチコンコルドの末脚になす術なし |
| 1996年 | 函館記念 | GⅢ | 6着 | 岡部・古馬の壁に跳ね返される |
| 1996年 | 京都新聞杯 | GⅡ | 4着 | ダンスインザダークに完敗 |
| 1996年 | 菊花賞 | GⅠ | 2着 | ダンスインザダークの鬼脚に屈す |
| 1996年 | 有馬記念 | GⅠ | 4着 | サクラローレル・マーベラスサンデーに次ぐ |
| 1997年 | 天皇賞(秋) | GⅠ | 4着 | エアグルーヴ・バブルガムフェローの叩き合いに届かず |
| 1997年 | ジャパンC | GⅠ | 11着 | 初めての二桁着順 |
菊花賞2着——ダンスインザダークの鬼脚の前に
ダービー4着の後、秋は岡部幸雄を鞍上に函館記念から始動したが古馬の壁に跳ね返され、菊花賞トライアルの京都新聞杯もダンスインザダークに完敗。しかし本番の菊花賞では粘り強く2着を確保した。
このレースで見せたダンスインザダークの末脚が「競馬史上屈指」と語り継がれる伝説の一幕であることは、ダンスインザダークの記事で詳述した通り。その奔流の前に敗れた2着のロイヤルタッチだが、ゴール前まで先頭を守り抜いた粘りは本物だった。皐月賞に続き、菊花賞でも2着——全3戦のクラシックで1勝もできず、それでも確かに「そこにいた」馬だった。
血統が語る「サンデー×マルゼンスキー×スターロツチ」
ロイヤルタッチの血統の核心は、母父マルゼンスキーだ。マルゼンスキーはニジンスキーの直仔として1974年に日本に持ち込まれ、7戦無敗のまま引退した伝説の馬。種牡馬としては1980〜90年代の日本競馬に多大な影響を与え、ウイニングチケットもマルゼンスキーを通じてニジンスキーの血を引いている。そのウイニングチケットの半弟としてロイヤルタッチが生まれた配合は、サンデーサイレンスとマルゼンスキーという「二大種牡馬の血の合体」という意味でも時代を象徴する配合だった。
さらに3代母スターロツチが伝えるのは、テスコボーイ経由のプリンスリーギフト系の底力。サクラスターオーら三冠級の馬も出したこの牝系のスタミナが、菊花賞2着という結果を支えた一因でもあるだろう。
スターロツチ牝系と近親の活躍馬
- ウイニングチケット(半兄・父トニービン)— 1993年日本ダービー・弥生賞・京都新聞杯
- スターロツチ(3代母)— 1958年優駿牝馬・有馬記念制覇
- サクラユタカオー(スターロツチの曾孫)— 天皇賞(秋)
- サクラスターオー(スターロツチの4代孫)— 皐月賞・菊花賞
- マチカネタンホイザ(スターロツチの曾孫)— 高松宮杯GII他重賞4勝
- アサヒライジング(産駒)— 桜花賞・オークス2着・ローズS
【筆者の思い出】皐月賞までは確かに「主役」だった
ロイヤルタッチへの思い出は、クラシック前夜の「期待感」だ。
前年のサンデーサイレンス産駒の衝撃は凄まじかった。ジェニュイン・ダンスパートナー・タヤスツヨシ・フジキセキ——初年度産駒がクラシックを席巻し、「サンデーの時代が来た」という実感が競馬ファンの間に広まっていた。その翌年、2世代目のサンデー産駒として「四天王」が揃い踏みしたとき、その筆頭格として輝いていたのがロイヤルタッチだった。
しかもウイニングチケットの弟だ。前年のダービー馬と同じ母から生まれたというだけで、当時の競馬ファンにとってはそれだけで「本物」の証明になった。きさらぎ賞でダンスインザダークを降したとき、「今年の主役はロイヤルタッチだ」と思ったファンは多かったはずだ。私もその一人だった。
ただ、皐月賞あたりから徐々に影が薄くなっていった印象がある。主戦騎手がレースごとに変わり、G1では常に「あと一歩」が続く。強いのは分かるけれど、何か噛み合わない——そういう歯がゆさが積み重なっていった。4歳以降はバブルガムフェロー・ダンスインザダーク・エアグルーヴらが台頭する中で、気がつけばロイヤルタッチの名前を以前ほど聞かなくなっていた。
「届かなかった」という言葉がよく似合う馬だったが、皐月賞までの期待感の高さだけは、確かに本物だったと思う。
ロイヤルタッチ この馬を一言で言うなら
- ラジオたんぱ杯でダンスインザダーク・イシノサンデーを降した「四天王」の一角
- ペリエが帰国するたびに主戦が変わり、G1の度に「その日限りのコンビ」を強いられた
- 皐月賞2着・菊花賞2着——クラシック3戦で1勝もできないまま終えた「届かなかった指先」
- ウイニングチケットの半弟、スターロツチ牝系の血を引く超良血
- 産駒アサヒライジングが桜花賞2着など活躍し、種牡馬としても一定の評価を得た
- 26歳まで生きた長寿馬——2019年2月2日に老衰で大往生


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