鮮烈なスピードを武器に、短距離戦線で存在感を放った快速牝馬。
重賞の舞台で見せた逃げ脚、そしてゴール前まで簡単には止まらない粘り強さ。
その走りには、90年代スプリント路線を駆け抜けた馬らしい勢いと華がありました。
今回は、快速牝馬エイシンバーリンの軌跡を振り返ります。
エイシンバーリン
芦毛の快速、1分6秒9の壁を破った逃げの女傑
骨膜炎による長期休養を乗り越え、シルクロードSで芝1200m日本レコード——高松宮杯2着という実力馬の軌跡
1997年春、京都の空に轟いた1分6秒9のタイム。 芝1200メートルの「1分7秒の壁」を史上初めて打ち破ったのは、 8番人気の逃げ馬だった。 アメリカ生まれの芦毛牝馬・エイシンバーリン。 骨膜炎で1年以上の休養を余儀なくされながら、それでも逃げ続けた彼女は、 フラワーパークとの激しい競り合いを演じ、 短距離戦線に欠かせない存在として息の長い活躍を見せた。
栗東・坂口正則厩舎
1.7秒差の衝撃デビュー——コースレコードで現れた快速牝馬
| 生年月日 | 1992年3月11日 |
| 性別 | 牝 |
| 毛色 | 芦毛 |
| 産地 | 米国(フロリダ) |
| 生産 | Hugh G. King Ⅲ |
| 父 | Cozzene |
| 母 | Blade of Luck |
| 馬主 | 平井豊光 |
| 調教師 | 坂口正則(栗東) |
| 主戦騎手 | 南井克巳(後期は熊沢重文) |
| 通算成績 | 28戦6勝 |
| 主な勝ち鞍 | クイーンC(GⅢ) アーリントンC(GⅢ) 京都牝馬S(GⅢ) シルクロードS(GⅢ・日本レコード) |
| 死亡 | 2017年4月19日(25歳) |
1992年3月11日、アメリカ・フロリダ州で生まれたエイシンバーリンは、フロリダのセリ市で馬主・平井豊光に落札され、3歳春に来日。平井が所有する栄進牧場で育成された後、栗東の坂口正則厩舎に入厩した。
1994年10月の阪神・芝1400メートル新馬戦でデビュー。主戦となった南井克巳を背に逃げ切り勝ちを飾ったが、その勝ちタイムは当時の3歳コースレコードとなる1分21秒4。2着に1.7秒もの差をつける圧勝で、「とんでもない快速牝馬が来た」と競馬界を驚かせた。
続く重賞3戦(阪神3歳牝馬S・京成杯3歳S・フェアリーS)では、ヤマニンパラダイス、スターライトマリー、プライムステージといった強豪牝馬を相手に2・3・2着と惜しくも勝ちきれなかった。しかし常に上位争いを演じるその走りは、この芦毛の外国産牝馬の底力を証明するものだった。
重賞2連勝からの骨膜炎——長すぎる空白
明けて1995年1月、クイーンカップで待望の重賞初制覇。続くアーリントンカップも逃げ切りで連勝し、短距離路線の主役の座を掴んだかに見えた。しかしアーリントンカップの後、骨膜炎が判明。1年以上にわたる長期休養を余儀なくされることになる。
復帰後はなかなか本来の走りを取り戻せず苦戦が続いた。しかし、持ち前の逃げの積極性は失われていなかった。1997年初頭の京都牝馬Sで復活の重賞3勝目を挙げると、その勢いのままシルクロードSへと臨んだ。
1997年シルクロードS——1分6秒9の壁を破る
1997年3月のシルクロードステークス。8番人気という低評価を覆し、エイシンバーリンはいつも通り先頭に立つと、後続をじわじわと引き離しながら独走。2着を4馬身突き放してゴールを駆け抜けた。
そのタイムは1分6秒9。日本競馬史上初めて芝1200メートルで1分7秒の壁を破る日本レコードだった。8番人気で、この記録——逃げ馬が本来の力を存分に発揮した時の怖さを、競馬界に改めて知らしめた一戦だった。
エイシンバーリンが打ち立てた記録
- 1997年シルクロードS:1分6秒9——史上初の芝1200m「1分7秒の壁」突破・日本レコード
- デビュー時:1分21秒4——当時の3歳芝1400mコースレコード(1.7秒差の圧勝)
高松宮杯2着——フラワーパークとの死闘
シルクロードSの日本レコード制覇に続き、中京の高松宮杯(GI・1200m)へ。この春の短距離G1には前年覇者のフラワーパーク、ニシノフラワー、ヒシアケボノらが揃った。エイシンバーリンはレコードホルダーとして2番人気に推された。
レースでは先行策から直線を向くと、フラワーパークと激しく競り合う展開に。最後まで粘り込んだが、フラワーパークに2馬身半差で惜敗。それでもGIの舞台で見せた逃げ残りの粘りは、この馬の実力を十分に証明するものだった。
| 年 | レース | 格 | 着順 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1994年 | 阪神3歳牝馬S | GⅠ | 3着 | 1.7秒差デビュー勝ちから3戦目 |
| 1995年 | クイーンC | GⅢ | 1着 | 重賞初制覇 |
| 1995年 | アーリントンC | GⅢ | 1着 | 重賞連勝・その後骨膜炎で長期休養 |
| 1997年 | 京都牝馬S | GⅢ | 1着 | 復活の重賞3勝目 |
| 1997年 | シルクロードS | GⅢ | 1着 | 8番人気・日本レコード1分6秒9 |
| 1997年 | 高松宮杯 | GⅠ | 2着 | フラワーパークに2馬身半 |
| 1996年 | マイルCS | GⅠ | 3着 | ジェニュイン・ショウリノメガミに次ぐ |
| 1998年 | 高松宮記念 | GⅠ | 3着 | 6歳でもGI上位争い |
息の長い活躍——6歳まで短距離路線の主役として
高松宮杯後も短距離戦線の常連として活躍を続けた。1996年のマイルチャンピオンシップでは、ジェニュイン・ショウリノメガミに次ぐ3着と好走。1998年の高松宮記念でも3着と掲示板を確保するなど、6歳になっても衰えを見せない息の長さを誇った。
この時期、主戦騎手は南井克巳から熊沢重文に移行していたが、「中京競馬場が得意」というコース適性は生涯変わらず、中京では全成績で掲示板を外したことがなかったという。6歳冬のスプリンターズステークス(10着)を最後に現役を引退した。
血統が語る「芦毛スプリンターの必然」
エイシンバーリンの父・コジーン(Cozzene)は、BCマイルを制し1985年の米エクリプス賞最優秀芝牡馬に輝いた名馬。その父カロ(Caro)はアイルランド生まれの仏2000ギニー馬で、父フォルティノ→グレイソヴリン(Grey Sovereign)→ナスルーラと続く欧州系の血統だ。グレイソヴリンが芦毛の遺伝子の源であり、カロ→コジーン→エイシンバーリンと、芦毛の血が連続して受け継がれている。
またカロの直仔には、ビワハヤヒデの父・シャルードもいる。ビワハヤヒデの記事でも触れたカロ系の特徴である「スピードと持久力のバランス」は、距離が1200〜1600メートルという広いレンジで活躍したエイシンバーリンにも当てはまる。逃げながら長く脚を使い続けるそのレースぶりは、カロ系が伝える欧州型の持続力の表れと見ることができる。
引退後——引退馬協会に見守られた晩年
引退後は北海道・浦河町の丸村村下ファームで繁殖牝馬として第二の競走馬生活を歩んだ。高齢・メラノーマ(悪性腫瘍)を患ったことをきっかけに、認定NPO法人引退馬協会のフォスターホースとして受け入れられ、慣れ親しんだ牧場で余生を過ごすことができた。2017年4月19日、25歳でその生涯を終えた。最後は青草をたくさん食べて、静かに眠りについたという。
【筆者の思い出】1分6秒9の衝撃——とてつもないライバルの出現
エイシンバーリンの名前を聞いて真っ先に思い出すのは、あのシルクロードSの1分6秒9だ。当時の私はフラワーパークのファンだった。前年に高松宮杯とスプリンターズSの春秋完全制覇を成し遂げた、あの快速の芦毛牝馬を応援していた。
だからこそ、1997年春のシルクロードSのタイムを目にした時の衝撃は大きかった。1分6秒9——芝1200メートルで1分7秒の壁を史上初めて破る日本レコード。しかも8番人気での勝利。「これはとんでもないライバルが現れた」という警戒感が、フラワーパークファンとしての私を覆った。
同じ芦毛の牝馬、同じ短距離路線。そして何より、その逃げっぷりのスピードが尋常ではなかった。フラワーパークが制した高松宮杯のコースレコードをも上回るタイム。「高松宮杯はどうなるんだ」と本当に不安だった。
結果はフラワーパークが2馬身半差で勝利し、胸を撫で下ろしたわけだが、あの警戒感は今でも鮮明に覚えている。エイシンバーリンはそれほどのインパクトをもって現れた馬だった。ファンとしては脅威そのものだったが、同時にあのレコードは純粋に美しかった。
【筆者の思い出】「とんでもないライバルが来た」——シルクロードSの衝撃
エイシンバーリンの思い出は、やはり1997年のシルクロードステークスだ。
当時、私はフラワーパークのファンだった。前年に春秋スプリントG1を完全制覇した彼女の最大の目標は、高松宮杯の連覇だった。そこへ向けての春の短距離戦線を眺めていた時に目に飛び込んできたのが、このシルクロードSの結果だった。
1分6秒9。芝1200メートルで1分7秒の壁を初めて突破、という文字を見た瞬間、正直に言えば「まずい」と思った。しかも8番人気で、4馬身差の圧勝。逃げてこのタイムを叩き出す馬が、フラワーパークと同じ高松宮杯に出てくる——とてつもないライバルが現れた、という警戒感が走ったのをよく覚えている。
実際の高松宮杯では、フラワーパークがエイシンバーリンを2馬身半退けて連覇を果たしてくれたから、結果的には胸を撫で下ろした。しかし本番のレース中も、「あの逃げ馬が残ってしまうのでは」という緊張感は最後まで抜けなかった。それほど、シルクロードSの1分6秒9というタイムが頭に焼き付いていたのだと思う。
ファン目線で言えば、応援している馬に強烈なライバルが現れた時の「警戒と緊張」こそが、競馬の醍醐味のひとつでもある。エイシンバーリンはそれをこれ以上なく体現してくれた馬だった。
エイシンバーリン この馬を一言で言うなら
- デビュー戦1.7秒差の衝撃から始まった、芦毛の快速外国産牝馬
- 骨膜炎による1年以上の休養を乗り越え、復帰後に日本レコードを樹立
- 1997年シルクロードS1分6秒9——史上初の芝1200m「1分7秒の壁」突破
- 高松宮杯2着・マイルCS3着・高松宮記念3着とGI上位争いを続けた実力馬
- 父コジーン→祖父カロ→ビワハヤヒデとも同じカロ系の欧州型スピード血統
- 引退馬協会のフォスターホースとして25歳まで愛された、長い余生の馬


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