幻の三冠馬と呼ばれたフジキセキ。
わずか4戦でターフを去りながら、その輝きは今なお色褪せない。
サンデーサイレンス初年度産駒として日本競馬に衝撃を与え、引退後は種牡馬としても存在感を示した名馬。
未完だからこそ語り継がれる、その才能と血の物語を振り返ります。
フジキセキ
サンデーサイレンスが見せた最初の「奇跡」
無傷の4戦4勝、屈腱炎で散ったクラシックの夢——19年後にイスラボニータが果たした悲願
「もしかして、サンデーって恐ろしい種牡馬なんじゃ」—— 1994年、日本中の競馬ファンがそう思わずにはいられなかった。 サンデーサイレンス初年度産駒の旗手として現れたフジキセキは、 たった4戦のうちに2歳チャンピオンの座を掴み、クラシック三冠の最有力候補と目された。 しかし屈腱炎がその夢を絶ち、現役わずか4戦で引退。 その物語は、19年後にイスラボニータが皐月賞を制するまで続いていく。
栗東・渡辺栄厩舎
「サンデーって恐ろしい種牡馬なんじゃ」——衝撃の初年度産駒
| 生年月日 | 1992年3月12日 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 青鹿毛 |
| 産地 | 北海道 |
| 父 | サンデーサイレンス |
| 母 | ミルレーサー |
| 母の父 | Le Fabuleux |
| 馬主 | 齊藤四方司 |
| 調教師 | 渡辺栄(栗東) |
| 通算成績 | 4戦4勝 |
| 主な勝ち鞍 | 朝日杯3歳S(GⅠ) 弥生賞(GⅡ) |
| 死亡 | 2015年12月28日(23歳) |
1989年、競馬界に衝撃のニュースが走った。前年のケンタッキーダービー・プリークネスステークス・ブリーダーズカップクラシックを制した世界的名馬サンデーサイレンスが、日本で種牡馬になるという。誰もが半信半疑だったその知らせから5年、サンデーサイレンス初年度産駒が競走馬としてターフに姿を現す。その中で「一番馬」と評されていたのが、青鹿毛の牡駒・フジキセキだった。
「フジ」は富士山、「キセキ」は輝石・奇跡・軌跡のトリプルミーニング。1994年8月、新潟競馬場でデビューしたフジキセキは、出遅れながらも楽々と捲って8馬身差で圧勝。続々とサンデーサイレンス産駒が新馬戦を制する中、その強さは「もしかして、サンデーって恐ろしい種牡馬なんじゃ」と競馬ファンに思わせるに十分だった。
無傷の4連勝——2歳チャンピオンの座
2戦目のもみじステークスでは、後の日本ダービー馬タヤスツヨシを寄せ付けず、2歳コースレコードとなる1分35秒5を記録して圧勝。そして3戦目、第46回朝日杯3歳ステークスでは単勝オッズ1.7倍の断然人気に応え、不敗のまま最優秀3歳牡馬(現2歳牡馬)の座を掴んだ。
3歳緒戦の弥生賞では、デビューから30キロも増えた馬体での圧勝を見せ、サンデーサイレンスという種牡馬の優秀性を改めて広く知らしめることになる。単勝1.3倍という圧倒的人気にも応えてみせた、まさに無傷の4連勝だった。
| 年 | レース | 格 | 着順 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1994年 | 新馬戦 | 1着 | 8馬身差の圧勝 | |
| 1994年 | もみじS | OP | 1着 | 2歳コースレコード |
| 1994年 | 朝日杯3歳S | GⅠ | 1着 | 単勝1.7倍・不敗のまま最優秀3歳牡馬 |
| 1995年 | 弥生賞 | GⅡ | 1着 | 単勝1.3倍・馬体+30kgで圧勝 |
いたずら好きのやんちゃ坊主——気性の良さと底知れぬ強さ
サンデーサイレンス自身は気性が荒く、扱いの難しい馬として知られていたが、フジキセキはそうではなかった。渡辺栄調教師は後年「こんな楽しい奴はいなかった」と述懐し、サンデーサイレンス産駒にしては凶暴なところがなかったという。
走ることが大好きで、併せ馬が怖くてできないほど、調教でもぶっ飛ばしていたというエピソードも残る。いたずら好きのやんちゃ坊主でありながら、レースでは静かな強さを発揮する——その対比もまた、この馬の魅力だった。
クラシックの夢、断たれる——屈腱炎という運命
弥生賞を制し、皐月賞・日本ダービーへの最有力候補と目されていたフジキセキ。しかし、皐月賞を目前にした3月24日、左前脚に屈腱炎を発症していることが判明し、現役を引退することとなった。屈腱炎は完治が難しく再発の可能性も高い、競走馬にとって「不治の病」とも称される疾病だ。わずか4戦4勝という短い競走生活は、多くのファンに「もし走り続けていたら」という思いを抱かせることになる。
1995年のクラシック三冠は、皐月賞をジェニュイン、日本ダービーをタヤスツヨシ(いずれもサンデーサイレンス産駒)、菊花賞をマヤノトップガンが制した。フジキセキはこれらのレースに出走することなく終わったが、3戦に騎乗した角田晃一は「菊花賞は分からないですけど、皐月賞、ダービーまではたぶん大丈夫だったんじゃないか」と語っている。一方で「順調に使えていれば……って言いますけど、順調に使って勝った馬には敵わないです」とも語った。三冠を成し遂げたかもしれない馬は、永遠に「もしも」の中に留まることとなった。
サンデー2世代目の種牡馬として——もう一つの戦い
引退後はサンデーサイレンスの代用としても期待を集め、繁殖シーズン途中の種牡馬入りだったにもかかわらず、初年度から118頭の交配相手を集めた。しかし初年度産駒は勝ち上がり率こそ悪くなかったが、GI戦線で目立った成績を挙げるものは現れなかった。
種牡馬入り4年目には日本初のシャトル種牡馬としてオーストラリアに渡ったが、フジキセキ産駒はオーストラリアの競馬スタイルに合わず苦戦した。種牡馬としての評価は一時低迷していたが、その後の展開が大きく変わっていく。
種牡馬フジキセキ 主な産駒
- カネヒキリ — ジャパンダートダービー等、ダートGI7勝
- キンシャサノキセキ — 高松宮記念2連覇
- ダノンシャンティ — NHKマイルCをレコード勝ち
- イスラボニータ — 16世代目で悲願のクラシック制覇(皐月賞)
- ストレイトガール — ヴィクトリアマイル・スプリンターズS
2005年にカネヒキリがジャパンダートダービーを制し産駒のGI競走初勝利を挙げると、2007年からはGI級競走の優勝馬が相次いだ。徳武英介は産駒の変化の要因として、フジキセキの血統的特徴が把握され始めたことや、調教設備の充実による故障減少を挙げ、「時代がフジキセキに向いてきた」と語っている。
19年後の悲願——イスラボニータの皐月賞制覇
数々のGI馬を輩出しながらも、フジキセキ自身が成し得なかったクラシック制覇には長らく手が届かなかった。しかし2014年、イスラボニータが皐月賞を制し、16世代目にして悲願の産駒クラシック初制覇を果たした。
フジキセキ自身がクラシックの夢を絶たれてから、実に19年。自身が成し得なかったクラシック競走制覇を、最後の世代であるイスラボニータが成し遂げたのだ。屈腱炎で散った1995年のあの春から、長い時を経て巡ってきた、もう一つの「奇跡」だった。
血統が語る「異系」という強み
フジキセキの血統的な特徴として、専門家がよく指摘するのが「主流血脈から外れた異系」という点だ。5代前にボールドルーラー、6代前にナスルーラがある程度で、5代以内にクロスを持たず、また1980年代以降世界的な主流血脈となったノーザンダンサーやミスタープロスペクターの血を含んでいない。これにより配合の選択肢が非常に広く、多様な繁殖牝馬と組み合わせられる強みを持っていた。
母・ミルレーサーの血統もまた特異だ。母父Le Fabuleuxは仏ダービー馬で、フランスの名門種牡馬として知られる。母系には有名種牡馬がほぼ見当たらない、近年では珍しい異系血脈とされるが、半姉シャイニンレーサー(マーメイドS)、姪シャイニンルビー(クイーンC)、近親にミルリーフ(英ダービー)という血脈を持つ。サンデーサイレンス自身も母系が「雑草血統」と呼ばれる異系であり、両親ともに主流から外れた血を持つフジキセキは、結果として配合相性の良さという種牡馬としての大きな武器を手にしていた。
フジキセキ この馬を一言で言うなら
- サンデーサイレンス初年度産駒の代表格、無傷の4戦4勝
- クラシック三冠の最有力候補だったが、屈腱炎により4戦で引退
- 「こんな楽しい奴はいなかった」と愛された気性の良さ
- 種牡馬としてカネヒキリ・キンシャサノキセキ等の名馬を輩出
- 19年後、イスラボニータが悲願のクラシック制覇を果たした


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