ヒシアマゾン

優駿達

血統が生んだ”女傑”――ヒシアマゾンという奇跡

はじめに

競馬の歴史を振り返ったとき、「時代と戦い続けた」という言葉がこれほどふさわしい馬はそうそういない。1990年代前半の中央競馬に彗星のように現れ、外国産馬への制約という逆風をものともせず、牡馬をも凌駕するほどの能力を見せつけた牝馬――それがヒシアマゾン(Hishi Amazon)である。

この記事では、彼女の競走生活の輝きを振り返りながら、その根底にある「血統」という観点から深く掘り下げていきたい。ヒシアマゾンがなぜあれほどの強さを持っていたのか。その答えは、大西洋をまたいで受け継がれた名血の連鎖の中にある。


「ヒシ」冠号の誕生と、血統への挑戦

まずヒシアマゾンを語るうえで欠かせないのが、馬主・阿部家の歴史だ。

木材卸の阿部木材工業を起こした阿部雅信は1940年代、中央競馬の前身である国営競馬の時代に馬主資格を取得し、「ヒシ」の冠号を用いて多くの競走馬を走らせた。初代のヒシマサル(安田記念など重賞4勝)、その仔ヒシマサヒデ(安田記念など重賞3勝)、またその仔ヒシスピード(京成杯など重賞3勝)を生産・所有し、”自家血統”にこだわったオーナーシップでその名を知られた人物である。

しかしその”自家血統”へのこだわりは、一方で経営を圧迫するほどの負担ともなっていたという。そこに変革をもたらしたのが、二代目社長となった長男・阿部雅一郎だった。

辣腕の企業家として家業を複合的企業として大きく成長させた雅一郎は、馬主としても新機軸を打ち出す。雅信がこだわった”自家血統”の馬を一掃し、外国での購買、生産に乗り出すのである。

その決断が、やがてヒシアマゾンという奇跡を生み出す。


母・Katies(ケイティーズ)――アイルランドのクラシック女王

ヒシアマゾンの血統を語るとき、まず触れなければならないのが母・Katies(ケイティーズ)の存在だ。

1989年、手始めに米国の繁殖セールへ参加した阿部雅一郎は、愛1000ギニーの勝ち馬であるKatiesを100万ドル(当時のレートで約1億3000万円)で競り落とした。

愛1000ギニー(Irish 1,000 Guineas)とは、アイルランドのクラシック三冠の一角をなすG1レースである。距離はマイル(約1600メートル)、3歳牝馬限定戦として現在も続く伝統の一戦だ。

Katiesはこのレースを制した正真正銘のクラシックホース。母系をたどると、名牝系の系譜に連なる良血で、スピードとスタミナを高い水準でバランスよく持ち合わせていた。阿部家がこの牝馬に100万ドルという高額を投じたのは、単なる血統の格への投資ではなく、将来の産駒に高い競走能力をもたらすための、きわめて戦略的な判断だったといえる。

この「愛のクラシック馬」という母の血が、のちのヒシアマゾンに優れたスピードと勝負根性の下地を作ったことは間違いない。


父・Theatrical(シアトリカル)――米国芝の王者

一方、父として選ばれたのがTheatrical(シアトリカル)である。この選択もまた、血統の観点から見ると実に興味深い。

KatiesはKentucky州にある名門牧場テイラーメイドファームに預託され、阿部がオーナーとなってから2年目には、現役時代にブリーダーズCターフなど米G1を6勝した名種牡馬Theatricalが付けられた。

Theatricalは1983年生まれのアイルランド産馬で、競走馬として欧米の芝G1戦線を席巻した名馬だ。その最大の勝利がブリーダーズCターフ(Breeders’ Cup Turf)であり、これは北米の芝路線における最高峰レースとして知られる。まさに「芝の王者」の称号にふさわしい実績を持った馬である。

Theatricalの血統をさらにさかのぼると、父はNureyev(ヌレイエフ)。ヌレイエフはNorthern Dancer(ノーザンダンサー)の直仔であり、欧州競馬において20世紀最大の種牡馬と称されたノーザンダンサーの血を色濃く受け継ぐ。

ノーザンダンサーの血は、現代のサラブレッドにとってほぼ「普遍的な存在」といっても過言ではない。しかしTheatrical自身は、その中でも特に「芝への適性」「中長距離への持続力」「末脚の鋭さ」を子孫に伝えることで知られていた。


ヒシアマゾンの血統表

以下が実際の5代血統表だ。Northern Dancer→Nureyevというラインが父系の骨格をなし、母Katiesの父ノノアルコ(Nonoalco)もNearctic~Nearcoの血を引く。ページ右側に並ぶ名前をたどるだけで、欧米の名血がいかに重層的に組み合わさっているかが一目でわかる。

血統表:Theatrical(父)×Katies(母)。父系はNureyev=Northern Dancer系、母系はNonoalco=Nearctic系。


血統の融合が生んだ唯一無二の資質

Theatrical×Katiesという組み合わせを整理すると、次のような血統的特徴が浮かび上がる。

父系(Theatrical)のもたらすもの:

  • Nureyev=Northern Dancer系のスピードと持続力
  • 欧州芝G1馬としての気品とパワー
  • ブリーダーズCターフ制覇に代表される中長距離の芝適性

母系(Katies)のもたらすもの:

  • 愛1000ギニー馬としての確かなクラシック資質
  • マイル前後での卓越したスピード能力
  • アイルランドの名血が育んだタフさと勝負根性

この二つの血統の融合は、スピードと持続力、芝適性と勝負強さという、競走馬に必要なほぼすべての要素を高い次元で兼ね備えた馬を生み出す可能性を秘めていた。そして実際に、その「可能性」は現実となった。

そこで生まれたのが、日本に輸入されて旋風を巻き起こす、のちのヒシアマゾンである。


「芝向き」と見抜かれた秘密

ヒシアマゾンは1991年3月26日生まれ。1歳秋に日本へ輸送され、千葉の大東牧場での育成を経て、美浦トレーニングセンターに入厩した。

細身でさほど目立つような存在ではなく、美浦トレーニング・センターへ入厩する頃にも、調教師の中野隆良が「オーナーに迷惑をかけないぐらいは走りそう」というぐらいの様子だったという。しかし予想に反して調教を積むにしたがって動きはどんどん良化し、順調にいけばいずれは重賞の一つや二つは取れるのではないかと厩舎スタッフの口の端に上るようになっていった。

血統や走法から「芝向き」であるとスタッフの意見が一致していたヒシアマゾン。しかしソエ(若駒に多い管骨の炎症)が出かかっていたため、脚元への負担が少なくて済むダート戦でデビューさせることになった。

これは、Theatrical譲りの芝適性がその馬体や走りのフォームにあらわれていたことを示している。父が欧米の芝G1戦線で活躍した血統を持つ馬は、しばしばその四肢の使い方や体の柔軟性に、芝を得意とする特徴が現れる。厩舎スタッフたちはその「Theatrical的な資質」を、まだデビュー前の段階で感じ取っていたのだろう。


デビューから阪神3歳牝馬S制覇へ――証明された血統の力

1993年9月19日、中山ダート1200メートルの新馬戦がヒシアマゾンのデビュー戦となった。

調教の動きが評価されて単勝2.4倍の1番人気に推された。レースでは牡馬のノボリリュウにしぶとく食い下がられたものの、それを振り切って勝利を挙げた。

続く2戦目のプラタナス賞(ダート1400メートル)はクビ差の2着に敗れたが、厩舎はここで舵を切る。

ソエの状態が良くなってきたこともあり、陣営は3戦目に初めて芝のレースを選んだ。1400メートルのG2戦、京成杯3歳S(現・京王杯2歳S)である。

初の芝に動じるどころか、ここがホームグラウンドだと言わんばかりの素軽いフットワークを披露したヒシアマゾン。レース後、中野と中舘は「だんぜん芝の走りのほうがいい」という意見で一致した。

父Theatricalの「芝の王者」としての遺伝子が、ここではっきりと目覚めた瞬間だった。

そして迎えた阪神3歳牝馬S(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)。

引っ張り切れない手応えで3番手を進み、直線の入口では”馬なり”で先頭に立ったヒシアマゾンは、鞍上の中舘のゴーサインを受けると一気に後続を引き離し、ゴールした瞬間には、のちに桜花賞で3着に入るローブモンタントを5馬身もちぎり捨てていた。1分35秒9という時計は当時の古馬のコースレコードに0秒3差に迫る出色の記録(翌年の桜花賞よりも0秒5も速かった)。

「外国産の”女傑”あらわる」の評判に反応したファンの人気は瞬く間に沸騰した。


「外国産馬」という壁と、それを超える力

ヒシアマゾンの競走生活を語るうえで、「外国産馬への制約」という時代背景は切り離せない。

当時、外国産馬はクラシック競走と天皇賞に出走できないという制限があった。アメリカ生まれのヒシアマゾンはこのまま休養して次年度を迎えると、桜花賞とオークスには出走できず、まだNHKマイルCも創設前だったため、春シーズンはG1レースに参戦できないままになってしまう。

これはある意味で、当時の競馬界が「外国産馬の血統力」をいかに脅威と見ていたかの裏返しでもある。Theatrical×Katiesという欧米の一流血統を持つ馬が、もし制限なく日本のクラシックに出走できていたら、桜花賞もオークスも容易に制覇していたと考える関係者は少なくなかった。

だからこそヒシアマゾンの陣営は、出走できる限られたG1レースを懸命に狙い続けた。そしてその努力と、彼女の持つ「血統の力」は、1994年のエリザベス女王杯(当時は3・4歳牝馬限定のG1)での頂点到達という形で報われることになる。エリザベス女王杯では同世代のクラシックホース2頭を撃破し、さらにその後は牡馬が出走する重賞戦線でも長きにわたって活躍を続けた。

1995年の京都大賞典では前年・前々年のジャパンC勝ち馬マーベラスクラウン、レガシーワールドらを抑えて勝利した。


血統が示す「芝中距離の適性」とその完成形

ここで改めて、ヒシアマゾンの血統がいかに「芝の中距離」に向いていたかを整理したい。

父Theatricalが制したブリーダーズCターフは、距離が約2400メートル(1マイル半)の芝レースだ。長距離のスタミナと、G1勝負を勝ち抜くための鋭い末脚の両方が要求される。

母Katiesが制した愛1000ギニーはマイル戦であり、瞬発力とスピードの持続が問われる。

この二つの能力が見事に融合されたヒシアマゾンは、マイルから2400メートルまで幅広い距離に対応できた。実際、彼女が最も輝きを放ったのは1600〜2200メートルの芝レースであり、それはまさに両親の適性距離が重なり合う「スイートスポット」だった。

さらにノーザンダンサー系の血が持つ「勝負強さ」「精神的なタフさ」もヒシアマゾンには色濃く受け継がれていた。逆境でも折れない闘志、不利な条件でも諦めない粘り腰、そして一瞬で勝負を決める切れ味――これらはすべて、彼女の血統が約束していたものでもあった。


ヒシアマゾンが証明したもの

ヒシアマゾンの戦績(20戦10勝5着内15回)は、彼女の能力の高さを余すところなく示している。しかし数字以上に重要なのは、彼女の存在が日本競馬界に与えたインパクトだ。

「外国産馬はクラシックに出られない」という制限があった時代に、ヒシアマゾンはその制限の外側で圧倒的な強さを見せ続けた。もしクラシックに出走できていたら、日本競馬史は違っていたかもしれない。それほどの能力を持った馬だったということを、当時を知る関係者は口をそろえて証言している。

そしてその能力の根幹にあったのは、間違いなく「血統」だった。愛1000ギニー馬Katiesと、ブリーダーズCターフ制覇の名種牡馬Theatrical。大西洋の両岸で磨かれた二つの名血が、日本の競馬場で一頭の牝馬として結実した。


おわりに

ヒシアマゾンという馬を血統の観点から見るとき、私たちは「競馬がいかに血の積み重ねであるか」を改めて実感する。馬主・阿部雅一郎の先見の明、100万ドルを投じた母の購入、そしてTheatricalとの配合という選択――すべてが一本の線でつながって、あの「女傑」が生まれた。

外国産馬への制約という逆境の中でも、彼女は時代と戦い続けた。それを可能にしたのは、世界の名血が育んだ「本物の強さ」だった。

ヒシアマゾンは今も、日本競馬史に燦然と輝く名前のひとつとして記憶され続けている。そしてその輝きは、彼女の血統が持つ「本質的な価値」の証明に他ならない。


※本記事の一部情報は優駿WEB(2018年8月号掲載記事)を参考にしています。戦績の詳細については、netkeibaや公式資料にてご確認ください。

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