デビュー戦でマヤノトップガンを撃破

ワンダーパヒューム 基本情報
生年月日1992年生
性別
毛色鹿毛
産地北海道浦河町
生産信岡牧場
フォティテン
ラブリースター
母の父トウショウボーイ
馬主山本信行
調教師領家政蔵(栗東)
主戦騎手四位洋文→田原成貴
通算成績9戦2勝
主な勝ち鞍桜花賞(GⅠ・レコード)
死亡1996年1月28日(4歳)

1995年1月8日、京都競馬場のダート1200メートル新馬戦。1番人気に推されていたのは、後のGI4勝馬マヤノトップガンだった。しかし7番枠から発走したワンダーパヒュームは、鞍上の四位洋文とともに0.1秒差でそのマヤノトップガンを退け、鮮やかな勝利を収めた。

続く500万下・寒梅賞は3着に敗れたものの、桜花賞トライアルのアネモネステークスでは2着と好走し優先出走権を獲得。春の大一番へのキップを手にした。

震災の年の桜花賞——7番人気の逆転劇

1995年の桜花賞は、阪神・淡路大震災の影響で例年の阪神競馬場から京都競馬場へと移された。この一戦最大の注目は、公営・笠松競馬所属のライデンリーダーだった。地方馬が中央のクラシックに挑戦するという前代未聞の舞台で、ライデンリーダーは圧倒的な人気を集めていた。

ダンスパートナー、プライムステージといった有力馬もいる中、重賞未勝利・1勝馬のワンダーパヒュームの評価は7番人気。桜花賞初騎乗となった田原成貴がコンビを組んで本番を迎えた。

1995年 第55回桜花賞(京都・芝1600m・稍重)

道中は好位のインを追走したワンダーパヒューム。直線に向くと内から抜け出し、ダンスパートナーらの猛追を振り切ってゴールへ飛び込んだ。着差はクビ。注目のライデンリーダーは3着に敗れた。勝ちタイム1分34秒4は当時の桜花賞レコード。7番人気の桜花賞馬誕生という、誰も予想しなかった結末だった。

競走成績(全9戦)
レース着順備考
1995年新馬戦(京都・D1200)1着マヤノトップガンを退ける
1995年寒梅賞(500万下)3着
1995年アネモネSOP2着優先出走権獲得
1995年桜花賞GⅠ1着7番人気・1分34秒4(当時レコード)
1995年優駿牝馬(オークス)GⅠ3着7番人気・ダンスパートナーの0.6秒差
1995年ローズSGⅡ4着
1995年エリザベス女王杯GⅠ16着
1995年阪神牝馬特別GⅡ10着
1996年京都牝馬特別GⅢ中止3コーナー過ぎで故障・安楽死

オークス3着——距離不安を覆した底力

桜花賞制覇後、続くオークスでは「距離が持たない血統」という評価から再び7番人気に甘んじた。父フォティテンはヌレイエフ系ながらも2歳のスプリント〜マイル路線で活躍したスピード型であり、桜花賞勝利もフロック視されていた節があった。

しかしワンダーパヒュームは2400メートルの長丁場でも最後まで踏ん張り、勝ったダンスパートナーから0.6秒差の3着と好走。桜花賞勝利がまぐれではなかったことを証明した。そのオークスを制したダンスパートナーが後にサンデーサイレンス産駒として初のクラシックホースとなり、3着のワンダーパヒュームとは好対照をなす存在となった。

秋の不振、そして悲劇の1月28日

しかし秋以降、ワンダーパヒュームの成績は急速に落ちた。ローズS4着、エリザベス女王杯16着、阪神牝馬特別10着と2戦連続で大敗。馬の状態に陰りが見え始めていた。

1996年1月28日。成績次第では引退もあり得るという背水の陣で臨んだ京都牝馬特別。距離・コースともに桜花賞と同じ京都芝1600メートル。2番人気に支持されたパドックを見た解説の大川慶次郎は、テレビの前でこう呟いた。

「パヒュームは明らかに調子が良くない」 — 大川慶次郎(フジテレビ『スーパー競馬』解説)

「競馬の神様」と呼ばれた大川の悪い予感は、最悪の形で的中した。レース中、3コーナー過ぎの下り坂で突然故障を発症し競走を中止。診断の結果は左前脚複雑骨折・予後不良。ワンダーパヒュームは安楽死の処置を受け、4歳という若さでこの世を去った。

墓は故郷・北海道浦河町の信岡牧場に建てられた。桜花賞を制した翌年の冬、それも同じ京都のターフで命を落とすという、あまりにも悲しい幕引きだった。

血統が語る「ヌレイエフ×トウショウボーイという異色の融合」

ワンダーパヒュームの父・フォティテン(Fotitieng)は、ノーザンダンサーの直仔であるヌレイエフ(Nureyev)の産駒。欧州マイル血統の旗手として知られる。一方、母・ラブリースターは、「お助けボーイ」「天馬」の異名を持つ名馬トウショウボーイの初年度産駒だ。トウショウボーイは1976年の皐月賞・有馬記念・宝塚記念を制し、種牡馬としてはミスターシービー(クラシック三冠)など7頭のGI馬を輩出した、中小牧場に絶大な信頼を寄せられた種牡馬だった。

ラブリースターはその初年度産駒として重賞2勝(エリザベス女王杯3着を含む)を挙げた実力馬。生産者・馬主・調教師がラブリースター当時と同じ(信岡牧場・山本信行・領家政蔵)であることから、この牧場と関係者が一体となってワンダーパヒュームを育て上げたことが分かる。父フォティテンが伝える欧州のマイル適性と、母ラブリースターが伝えるトウショウボーイ系の底力と日本の芝への適性が組み合わさった配合が、7番人気での桜花賞制覇という「まぐれではない実力」を生み出したと言えるだろう。

【筆者の思い出】十字を切って投げキッス——田原成貴、唯一無二のパフォーマンス

ワンダーパヒュームの思い出を語る時、やはり田原成貴騎手の話になってしまう。

1995年の桜花賞、ゴールの瞬間だ。ダンスパートナーらの追撃をクビ差しのいでゴール板を駆け抜けたその瞬間、鞍上の田原成貴がやったことは前代未聞だった。馬上で十字を切り、そして投げキッス。あの大舞台で、しかも鞍上でそんなパフォーマンスをした騎手は、後にも先にも田原だけだろう。

7番人気の勝利という驚きもあったが、それ以上にあのパフォーマンスが強烈すぎて、しばらくレースの内容よりも田原の姿ばかりが頭に残っていた記憶がある。「この人は本当にやってくれるな」と苦笑いしつつも、どこか痛快だった。

エイシンワシントンでは「田原の邪魔な馬」として見ていた私だが、この桜花賞の田原はただただ格好良かった。勝利の喜びをあそこまで全身で表現できる騎手が、他にいるだろうか。十字を切って投げキッス——あれが田原成貴という騎手の「本質」だったように思う。ワンダーパヒュームという馬を語る時、そのことを抜きにはできない。

ワンダーパヒューム この馬を一言で言うなら

  • デビュー戦でマヤノトップガンを退けた将来を嘱望された牝馬
  • 7番人気で制した1995年桜花賞——震災の年、京都に移されたクラシックでのレコード勝利
  • 田原成貴との初コンビで掴んだ、ダンスパートナーへのクビ差の勝利
  • オークス3着で底力を証明するも、秋以降は急速に状態が下降
  • 1996年1月28日、大川慶次郎の不吉な予言通り、京都3コーナーで帰らぬ馬に
  • わずか4歳・9戦という短すぎた競走生活、その墓は故郷・浦河町の信岡牧場に