村下ファームの夢——ツキカワの血を受け継いだ逃げ馬

サニーブライアン 基本情報
生年月日1994年4月23日
性別
毛色鹿毛
産地北海道荻伏町
生産村下ファーム
ブライアンズタイム
サニースイフト
母の父スイフトスワロー
馬主宮崎守保
調教師中尾銑治(美浦)
主戦騎手大西直宏(全10戦)
通算成績10戦4勝
主な勝ち鞍皐月賞(GⅠ)
日本ダービー(GⅠ)
表彰1997年JRA賞最優秀3歳牡馬
死亡2011年3月3日(16歳)

北海道荻伏町の村下ファーム——牧場主・村下一家が長年温めてきた夢の牝系がある。4代母ツキカワは、1950年代の桜花賞馬。そのツキカワの血を守り続けた村下ファームが、ついに基礎牝馬として手に入れたのがサニーロマン、その娘がサニースイフト、そしてその産駒として1994年に生まれたのがサニーブライアンだった。

母サニースイフトは中央競馬で26戦4勝。競走馬としては短距離に適性を示し、オークスにも出走したが距離が長く惨敗した。しかし繁殖牝馬として村下ファームは大いに期待を寄せていた。父ブライアンズタイムは、ナリタブライアン(三冠)・マヤノトップガン(GⅠ4勝)を輩出した最強種牡馬の一頭。その血と組み合わせた結果が、サニーブライアンだった。

叔父にあたるサニースワローは1987年のダービーで22番人気から2着という波乱を演じた馬。中尾銑治調教師は入厩してきたサニーブライアンを一目見て「サニースワローより遥かに上の素材だ!」と確信したという。また大西直宏騎手がサニーブライアンの主戦に抜擢されたのも、10年前のダービーでサニースワローを2着に導いた縁からだった。

2歳時は「普通の馬」——クラシック候補とは誰も思わず

1996年10月、東京芝1800メートルの新馬戦を逃げ切り勝ちでデビュー。しかしその後は百日草特別5着、府中3歳ステークス7着、ひいらぎ賞5着と低迷。2歳シーズンは4戦1勝どまりで終えた。

年明けの若竹賞(500万下)2着の後、オープン特別のジュニアCを逃げ切り勝ち。弥生賞では5番人気ながら、勝ったランニングゲイルから1.1秒差の3着という完敗——この時点でサニーブライアンをクラシックの主役と見る者はほとんどいなかった。若葉Sでも1番人気を裏切る4着と結果を残せず、迎えた皐月賞の単勝オッズは11番人気だった。

1997年 皐月賞——「大外から全部ぶち抜く」

11番人気・大外18番枠からの奇跡

抽選で決まった皐月賞の枠順は大外18番。普通ならばこれは不利——しかし大西直宏は違った。スタートがあまり得意でないサニーブライアンにとって、大外枠なら包まれずにハナを切りやすい。大西は「これは最高の枠だ」と確信した。

レースはスタート直後から大西の思惑通りに展開した。テイエムキングオーがいったん先手を取るが、3コーナー手前でサニーブライアンが先頭へ。後方に控えた差し・追い込み脚質の人気馬たちが直線で牽制し合う間に、逃げ馬は後続を引き離し続けた。2着シルクライトニングにクビ差——11番人気での皐月賞制覇という大波乱だった。

「もし自分がサニーブライアンに乗っていなかったら、自分も信じなかった」 — 大西直宏騎手、皐月賞制覇後のコメント

1997年 日本ダービー——逃げ切り二冠達成

皐月賞馬として迎えたダービーでは、「皐月賞馬としては異例」ともいえる6番人気という低評価に甘んじた。前走の「フロック論」は根強く、逃げ馬のダービー制覇への懐疑的な見方が人気に反映された形だった。しかし大西直宏は再び同じ戦法を選択——今度は最初からハナを切り、2400メートルを逃げ切った。2着シルクジャスティスに1馬身差。大方の予想を覆す完璧な逃げ切りで、サニーブライアンは二冠を達成した。

全10戦で手綱を握り続けた大西直宏にとっても、念願のGI初制覇——いや、一気に二冠。サニーブライアンと大西直宏の二人三脚が生んだ奇跡だった。

競走成績(全10戦)
レース着順備考
1996年新馬戦(東京・芝1800)1着逃げ切り・大西直宏
1996年百日草特別500万5着2番人気で敗退
1996年府中3歳SGⅢ7着2番人気で大敗
1996年ひいらぎ賞500万5着3番人気で敗退
1997年若竹賞500万2着4番人気・0.1秒差
1997年ジュニアCOP1着逃げ切り
1997年弥生賞GⅡ3着5番人気・ランニングゲイルから1.1秒差
1997年若葉SOP4着1番人気で敗退
1997年皐月賞GⅠ1着11番人気・大外18番枠・クビ差
1997年日本ダービーGⅠ1着6番人気・逃げ切り二冠・1馬身差

菊花賞回避——引退という幕切れ

二冠達成後、菊花賞での三冠を目指したが、骨膜炎が発症して出走を断念。そのまま現役を引退した。三冠の夢は叶わなかったが、それは「逃げ馬が菊花賞の3000メートルを逃げ切れるか」という難題でもあった。皐月賞もダービーも着差はクビ——その際どさが、この馬の本質だったのかもしれない。

引退後は種牡馬となったが、後継馬に恵まれなかった。2011年3月3日、16歳で死亡。その訃報はあの東日本大震災の直前のことだった。

血統が語る「ブライアンズタイム×ノーザンダンサー直仔の中長距離血統」

父ブライアンズタイムはロベルト系の中距離型種牡馬で、ナリタブライアン・マヤノトップガン・サニーブライアンと三頭の二冠以上の馬を輩出した大種牡馬だ。一方、母父スイフトスワローはノーザンダンサーの直仔で、母が英オークス馬ホームワードバウンドという超良血。デビュー前に故障して未出走のまま引退したため競走実績はないが、ブルードメアサイアーとしてサニーブライアンを輩出した。

また4代母のツキカワは桜花賞馬であり、村下ファームが長年大切に守ってきた牝系の起点。その血が4代の時を経て日本ダービー馬に結実した——これこそが小さな生産牧場の「夢の形」だった。

サニーブライアンと近親の活躍馬

  • サニースワロー(伯父・父スイフトスワロー)— 1987年日本ダービー22番人気2着・新緑賞優勝
  • ナリタブライアン(同父・父ブライアンズタイム)— 1994年三冠馬
  • マヤノトップガン(同父・父ブライアンズタイム)— GⅠ4勝・1995年年度代表馬
  • ツキカワ(4代母)— 桜花賞馬・村下ファームの基礎牝系の源

【筆者の思い出】何年経っても忘れられない——三宅アナの実況とともに

サニーブライアンといえば、ダービーの実況だ。何年経っても忘れられない。

レースが始まると「行った!行った!行った!行った!!皐月賞馬サニーブライアンが内に切れ込んで早くも先頭」——6番人気の皐月賞馬が今日も逃げる。後続は追いかけるが、なかなか差が縮まらない。直線に向いても先頭はサニーブライアンのまま。そしてゴール——「サニーブライアンだ!サニーブライアンだ!これはもう!フロックでも何でもない!!二冠達成!!」

「フロックでも何でもない」という言葉が全てだった。皐月賞の後、誰もが「展開のあやだ」「まぐれだ」と言った。しかし大西直宏は同じ戦法でダービーも逃げ切った。三宅アナはその事実を、たった一言で言い切ってしまった。あの実況は、サニーブライアンという馬の「本質」を言い表した言葉だと今も思っている。

レースそのものよりも、実況の記憶の方が鮮明に残っている馬というのは、競馬人生の中でもそう多くない。サニーブライアンはそういうダービー馬だ。

サニーブライアン この馬を一言で言うなら

  • 弥生賞1.1秒差→皐月賞11番人気→逃げ切り二冠という、競馬史上屈指のシンデレラストーリー
  • 全10戦で大西直宏が騎乗し続けた「主戦一筋」の絆が生んだ二冠
  • 大外18番枠を「最高の枠だ」と確信した大西の読みが皐月賞の勝因
  • 村下ファームがツキカワの牝系を4代にわたって守り続けた結実
  • 骨膜炎で菊花賞を回避——三冠の夢は断たれたが、二冠の記憶は永遠に
  • 父ブライアンズタイム×母父ノーザンダンサー直仔という、時代を象徴する配合